三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~宗悦殺し」

jpeg000 150今日の落語というより怪談噺、三遊亭圓生の「真景累ヶ淵-宗悦殺し」です。長大な怪談噺、「真景累ヶ淵」の最初の噺です。旗本の深見新左衛門が、借金の催促に来た按摩の皆川宗悦を、酒に酔って怒りを抑えられず、誤って斬り殺してしまいます。この死体をつづらに入れて、広場に捨てておいたのを、欲の深い上方者二人が自分の家のものだと嘘をいって持ち帰ります。すっかり得をしたと思ったこの上方者二人は酒をくらって寝てしまいますが、その間に泥棒が入り、つづらを開けて、中が宗悦の死体だということがわかってしまいます。一方で、新左衛門はある夜按摩を頼んで肩をもませていたら、その按摩が宗悦に変わります。びっくりして刀を抜いて斬りかかりますが、誤って自分の女房を斬ってしまいます。乱心した新左衛門は隣家にも押し入り、狼藉者として結局討ち殺されます。
この「宗悦殺し」以降は、新左衛門の子孫と宗悦の子孫が不思議な運命でからみながら、それぞれ不幸になっていく噺です。
正直怖いというより陰惨さ100%のお噺で、聴く楽しみがないのですが、乗りかかった船なので、圓生の噺で、続けて「深見新五郎」「豊志賀の死」「お久殺し」までを聴く予定です。圓生の録音では、さらにこの後、「お累の婚礼」「勘蔵の死」「お累の自害」「聖天山」までが出ています。

古今亭志ん生の「お直し、庚申待ち」

jpeg000 148今日の落語、志ん生の「お直し、庚申待ち」。昨日志ん朝の「お直し」を聴いたので、本家のが聴いてみたくて買いました。「お直し」が昭和38年、「庚申待ち」が昭和40年で、どちらも志ん生の病後です。但し、ググって見ると、志ん生のお直しについては、この病後の昭和38年のがベストだと言っている人もいました。「庚申待ち」はTVの録音で、音が良くありません。
「お直し」はさすがに本家で、語りようによっては陰惨な噺になりかねない噺ですが、志ん生の語りでは暗さはまったくありません。基本的に志ん朝のは志ん生のをコピーしていますが、細部はそれなりに違いますね。
「庚申待ち」は、ある旅籠屋で、庚申の夜に町の人が集まって色んな話をして過ごす様子を描いた話です。その中に、「女ムジナ汁を食って玉の輿に乗る」というのが出てきて、何の洒落だかわからないので調べてみたら、「女氏無くして玉の輿に乗る(おんな、うじなくしてたまのこしにのる)」の洒落でした。

古今亭志ん朝の「お直し」

jpeg000 146今日の落語は志ん朝の「お直し」です。親父の志ん生が得意だった噺です。(というか志ん生と志ん朝の親子以外はほとんど演じる人がいません。)いわゆる廓噺、それも最下層の廓である「けころ」(蹴転がし、の略)の噺です。そういう噺であるにも関わらず志ん生は平気で戦争中でも高座にかけていたそうです。志ん生はこの落語の口演で、昭和31年に芸術祭賞を受賞しています。
お噺は、吉原の女郎と牛太郎が惚れ合った仲になりますが、店の女郎と牛太郎が仲良くなるのはご法度です。でも店の主人は話の分かる人で、二人を夫婦にしてくれそのまま雇ってくれました。二人で一生懸命働いたので、暮らし向きは楽になりましたが、そうすると亭主が女遊びを始め、ついでに博打まで始めて店に出なくなり、借金も重ねます。女房の方も亭主が休むので店に出ずらくなり、二人して店を辞めることになります。そうなるとお金を得る手段がなく、亭主は女房を最低限の女郎である「けころ」にして金を稼ごうとする…というものです。ちょっと間違えると暗い噺になりますが、志ん朝の噺ぶりはとても明るくてユーモラスです。

金原亭馬生の「笠碁、文違い」

jpeg000 141今日の落語は、金原亭馬生(きんげんていばしょう)の「笠碁、文違い」です。
馬生は、古今亭志ん生の長男で、志ん朝の兄です。志ん生からは稽古をつけてもらったことはないそうですが、血は争えないというか、自然なおかしみとかダイナミックな所作が志ん生に似ているように思います。惜しくも1982年に54歳の若さで亡くなりました。
「笠碁」はこれも囲碁にまつわる碁敵同士のお噺ですが、まくらが、志ん朝が語った「碁どろ」のものとまったく同じ(囲碁を五目並べと間違えてトンチンカンな助言をするのと、隅の石が危ないと言うのが、生き死にではなく単に落っこちそうだからという噺です)でした。元は志ん生のまくらなんでしょうか。
「文違い」は、内藤新宿の女郎のお杉が二人の客をうまくだまして、五十両のお金をせしめるが、そのお金を芳次郎という色男に眼病の薬代としてそっくり渡す。芳次郎がいなくなった後に手紙を読むと、眼病だというのは口実で、お杉からお金をせしめる手段だったことがわかる。一方で、お杉に騙された客の一人も、芳次郎からお杉宛に来た手紙を見て、騙されたことを知り…といった騙し騙されが重層的になったお噺です。

三遊亭圓生の「花筏、やかん、死神」

jpeg000 140今日の落語、六代目三遊亭圓生の「花筏、やかん、死神」です。 落語のCDも37枚目でちょっとマンネリなのですが、このCDは面白かったです。
「花筏」は珍しい相撲にまつわるお噺で、提灯屋が花筏という力士に似ているからと、病気の花筏の代役として、お客さんの所に引っ張り出されます。最初はただ見ているだけでいいから、という話だったのが、お客さんの中に相撲の強いのがいて、成り行きでとうとう対戦することになり…というお噺です。
「やかん」は何でも知ったかぶりをする人の話です。聞く人に突っ込まれてどんどん珍妙な語源説をでっち上げるところが聴き所です。タイトルは、やかん、は元は「水沸かし」と言ったが、ある武将が合戦で夜襲を受けた時に、兜が見つからなかったので、その場にあった「水沸かし」を兜代わりに合戦に臨む。敵がその「水沸かし」めがけて矢を射てきて、「水沸かし」に「矢」が当たって「カーン」と音を立てたので、「やかん」。
「死神」は、三遊亭圓朝が、イギリスのオペラあるいは、ドイツのグリム童話にあった話を元にして落語に仕立てたものです。ある金が亡くて自殺しようとした男が死神に知り合います。死神から、病気の人間に取り付いた死神を追い払う呪文を教えてもらって、医者になります。死神が病人の足許にいる時は呪文で追い払えますが、病人の枕元にいる時はその病人はもう寿命で、呪文では追い払えない。最初は順調に行っていたが、ある時、死神が枕元にいる病人に出会い、直せないと断るが、一万両を積まれ、奇策を思いつく。それは首尾良く成功したが、その代わりに…というお噺でとてもよく出来た内容です。呪文は、この圓生のでは、「アジャラカモクレン、ILO、南ベトナム」でした。「ILO」はやかんでも出てきて、このころ日本はILOについては87号条約の問題で連日マスコミで騒がれていたみたいです。

三遊亭金馬の「居酒屋、紀州」

jpeg000 138今日の落語はちょっと目先を変えて、三代目三遊亭金馬の「居酒屋、紀州」。「居酒屋」は三代目三遊亭金馬の当たり芸です。酔っ払いが居酒屋に入って、そこの小僧をからかう噺ですが、小僧がお品書きを語るのが、独特の金馬節で聴かせます。
「紀州」は七代将軍家継が夭折して、その後の将軍を尾州と紀州が争う噺で、聞き違いがテーマになった短い噺です。
三代目三遊亭金馬は久保田万太郎やその弟子の安藤鶴夫が毛嫌いして過小評価した噺家です。でも実際に聴いてみたら、折り目正しい感じで聞きやすく、いいと思います。

古今亭志ん朝の「酢豆腐、鰻の幇間」

jpeg000 136今日の落語、志ん朝の「酢豆腐、鰻の幇間」。
「酢豆腐」は三遊亭圓生のでも聴いていて2枚目。「酢豆腐」っていうより前半は「糠味噌」といってもいいかも。圓生も志ん朝も甲乙付けがたい出来です。
「鰻の幇間」は幇間の一八が素人の旦那にまんまとはめられるお噺。幇間の調子の良さを快く思っていない人が作ったお噺かもしれません。

三遊亭圓生の「鰍沢、猫怪談、汲みたて」

jpeg000 135本日の落語は、三遊亭圓生師匠の「鰍沢、猫怪談、汲みたて」です。「鰍沢」は先日、NHKの「おはよう日本」で、この落語の舞台になっている山梨県の富士川町が、この落語で町おこしを図っているという報道を見て、興味が出て取り寄せてみたものです。四代目橘家圓喬が得意とした噺で、色々と伝説的な話が残っているみたいです。ただ、実際に聴いてみると大して面白い噺ではなかったです。
「猫怪談」は、与太郎の養父が死んでしまって、お弔いをして死体をお寺に持って行く途中で魔に魅入られて、死体が踊り出すお噺。圓生師匠の与太郎の馬鹿っぷりがいいです。
「汲みたて」は清元の師匠を巡るさや当てのお噺ですが、サゲ(題はサゲから来ています)が汚いのでちょっとマイナス評価です。

古今亭志ん朝の「碁どろ、お若伊之助」

jpeg000 134今日の落語、志ん朝の「碁どろ、お若伊之助」です。
碁どろ、は碁に夢中になっている二人の所に泥棒が入ったが、この泥棒も大変な碁好きで、盗ったばかりの荷物を放り出して、二人の碁を見物して口を出し始める…という噺です。志ん朝はうまいですが、たぶん囲碁は知らないですね。でも、囲碁が出てくる落語は、この「碁どろ」の他に「笠碁」や「柳田格之進」もあります。江戸時代は今よりずっと碁をたしなむ人が多かったということですね。
「お若伊之助」は、志ん朝の録音としては2枚目。前に聴いたのが、2001年4月の録音で亡くなる半年前です。今回の録音は1979年2月のものです。親分が根岸と神田を何度も行ったり来たりするのがおかしい噺です。志ん朝は今度の録音の方が生きが良くて勢いがあります。

古今亭志ん朝の「堀の内、化け物使い」

jpeg000 132今日の落語、志ん朝の「堀の内、化け物使い」です。
「堀の内」はとことんそそっかしい男の噺で、最初から最後までそのそそっかしい行いの様子が通して演じられます。粗忽者の熊五郎が、堀の内のお祖師様にお参りしようとして、あっちへ行ったりこっちへ行ったりし、ようやくたどり着いても、お賽銭を上げようとして財布ごと放り込んでしまいます。家に帰って子供の金坊を湯に連れて行こうとしますが、これがまた大変で…というお噺です。
「化け物使い」は、人使いの荒い旦那がいて、奉公人が次々やってくるが、皆人使いの荒いのに絶えられなくなってお暇をもらって去っていく。一人、木助さんだけが、人使いの荒いのにもよく耐えて、3年勤めたが、この旦那が化け物が出るという噂の屋敷に引っ越すと聞いて、化け物が大の苦手の木助さんもとうとう去って行く。旦那はその家に引っ越して、そこで噂通り化け物が出てくる。でも旦那は出てきた一つ目小僧、大入道、のっぺらぼう、をこれ幸いとばかりに使用人として次々用を言いつけこき使います。しまいには化け物(実は狸が化けたもの)の方が根を上げて「お暇を取らせていただきます」。