三遊亭圓生の「花筏、やかん、死神」

jpeg000 140今日の落語、六代目三遊亭圓生の「花筏、やかん、死神」です。 落語のCDも37枚目でちょっとマンネリなのですが、このCDは面白かったです。
「花筏」は珍しい相撲にまつわるお噺で、提灯屋が花筏という力士に似ているからと、病気の花筏の代役として、お客さんの所に引っ張り出されます。最初はただ見ているだけでいいから、という話だったのが、お客さんの中に相撲の強いのがいて、成り行きでとうとう対戦することになり…というお噺です。
「やかん」は何でも知ったかぶりをする人の話です。聞く人に突っ込まれてどんどん珍妙な語源説をでっち上げるところが聴き所です。タイトルは、やかん、は元は「水沸かし」と言ったが、ある武将が合戦で夜襲を受けた時に、兜が見つからなかったので、その場にあった「水沸かし」を兜代わりに合戦に臨む。敵がその「水沸かし」めがけて矢を射てきて、「水沸かし」に「矢」が当たって「カーン」と音を立てたので、「やかん」。
「死神」は、三遊亭圓朝が、イギリスのオペラあるいは、ドイツのグリム童話にあった話を元にして落語に仕立てたものです。ある金が亡くて自殺しようとした男が死神に知り合います。死神から、病気の人間に取り付いた死神を追い払う呪文を教えてもらって、医者になります。死神が病人の足許にいる時は呪文で追い払えますが、病人の枕元にいる時はその病人はもう寿命で、呪文では追い払えない。最初は順調に行っていたが、ある時、死神が枕元にいる病人に出会い、直せないと断るが、一万両を積まれ、奇策を思いつく。それは首尾良く成功したが、その代わりに…というお噺でとてもよく出来た内容です。呪文は、この圓生のでは、「アジャラカモクレン、ILO、南ベトナム」でした。「ILO」はやかんでも出てきて、このころ日本はILOについては87号条約の問題で連日マスコミで騒がれていたみたいです。

小林信彦の「小説探検」

jpeg000 145小林信彦の「小説探検」を読了。小林信彦の作品はほとんど読んできたつもりでしたが、この本は未読だったようです。1993年に出版されたもので、元は「本の雑誌」に1989年から1993年までに連載されたものです。
「小説世界のロビンソン」は、小林信彦自身の読書体験を振り返りながら、20世紀における小説の変遷を追いかけたものですが、この「小説探検」は、「ロビンソン」で扱いきれなかった作品(たとえばプルーストの「失われた時を求めて」とか中里介山の「大菩薩峠」とか)を扱うのと、小説を「いかに語るか」の語り口の分析と、それをどう読み取るかについて分析することが目的となっています。
取り上げられている作家は多岐に渡っていて、パトリシア・ハイスミスやスティー ヴン・キングのような小林信彦好みの作家から、フレデリック・フォーサイスや ミッキー・スピレーンみたいなメジャーな作家、それから日本の作家では前述の中里介山、永井荷風、川端康成、三島由紀夫、そして谷崎潤一郎などが論じられます。
小林信彦の本に関するエッセイを読むと、読書欲を強く刺激されます。また同時に、自分がいかに小説を読んでいないかを思い知らされます。これでも小学生の頃は1日2冊ペースで本を読んでいて、小学校ではたぶん一番の読書家だったのです が、まるで敵いません。