フランク・ハーバートの「デューン 砂の惑星」の三分冊の内の上巻を読了。この作品の日本語訳は1972年から73年にかけてハヤカワ文庫で四分冊として出ていたのが、昨年の2016年に新訳が出たもの。そういう意味では丁度いい時期に読み始めたと思います。ヒューゴー賞とネビュラ賞というSFの世界での二大賞を受賞した作品。きっかけはEigoxのレッスンで相手の先生に白井喬二の「富士に立つ影」のストーリーを紹介したら、この作品と似ているのではないかと言われたことです。読み始めて、二つの作品の共通点はすぐわかり、「富士に立つ影」では熊木家と佐藤家の対立が描かれますが、この作品ではアトレイデス家とハルコンネン家の対立が描かれます。この上巻の途中までは、「「富士に立つ影」ではどちらかが善でどちらかが悪として決めつけられている訳ではなく、両方の家の視点で物語が描かれている」ことが違うのではないかと思いますが、この上巻の最後になって、アストレイデス家のレト公爵が医師ユエの裏切りにより命を落とし、その愛妾レディ・ジェシカと息子のポールも命の危険に晒されますが、その危険を何とか逃れたポールは、未来を見通す能力に目覚め、実は両家の対立がそんな単純なものではないことが読者に明かされます。まだ1/3ですが、この先どうなるかが楽しみです。
月別アーカイブ: 2017年11月
NHK杯戦囲碁 伊田篤史8段 対 三谷哲也7段
本日のNHK杯の囲碁は黒番が伊田篤史8段、白番が三谷哲也7段の対戦です。まずは黒番の伊田8段が大高目の連打という意欲的な布石でそれに対して白の三谷7段が4手目で空き隅を放置して右下隅の星上に入っていきました。黒はこの白に付けていき、いきなりここで部分的な折衝が始まりました。白は結局隅に4目の地を持ち、黒は右辺と下辺に展開し、白は中央に棒石を持って、この白が厚みとして働くか攻めの対象になるかが焦点になりました。伊田8段は下辺からこの白の棒石を煽りましたが三谷7段は3間に飛んである意味頑張って受けました。結果的にはこれが薄く、伊田8段が右上隅と上辺で充分準備してからこの白の三間トビに対してコスミから切りを決行しました。この結果白は分断され、2子をほとんど取られてしまい黒が厚くなりました。黒は更にケイマに煽って切断した白を攻めましたが、これが打ち過ぎで白はその間に左辺を打って黒1子を飲み込み、地合では白のリードになりました。その後黒は白の大石への攻めを継続しましたが下辺の黒に切りを入れたのがうまく、黒は打つ手に窮しました。黒はそこで下辺は手抜きして、白の大石の眼を取る手を打ちました。黒は本気で白の大石を取りに行きましたが、黒の中央の包囲網が薄く、結局白の反撃にあって左辺の白へ連絡されてしまいました。結局黒は下辺に手を戻したのですが、白から黒の2子を取る手があり、ここでは白が優勢になったと思われました。しかし伊田8段はその2子を取った白の全体を切断して攻める手を見ていました。黒の中央で白2子を取った一段も眼が一眼しかなく薄く、下辺の綾もあって切断された白が活きるのは容易かと思われましたが、ここで伊田8段は解説の結城9段も見落としていた妙手で中央の黒を連絡し、結局中央の白の一団は攻め合いではありますが取られてしまいました。さすがにこの白が取られると形勢ははっきり黒良しになりました。最後は左上隅も黒が手を付け白地を大きく削減し、白の投了となりました。
天頂の囲碁7との九路盤互先黒番での3局目
天頂の囲碁7 初対戦
クリスチャン・ゲアハーアーの「美しき水車小屋の娘」
クリスチャン・ゲアハーアーの「美しき水車小屋の娘」の再録音を聴きました。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ以降、ドイツ人歌手には大した人が出てこなくてかなり衰退していましたが、このゲアハーアーが一時騒がれました。ただ、私はあまりいいとは思わなくて、今回のも一応買ってみましたが、特に印象に残る点はありません。このCDは歌だけではなくて、所々にドイツ語で歌曲の内容を説明するような朗読がついています。はっきり言ってなくてもいいようなものですが。
この「美しき水車小屋の娘」は完全に恋愛と失恋の歌で、恋敵に対する激しい憤怒の歌も含まれています。これが「冬の旅」になると、単なる失恋の歌を超えて、「共同体からの追放」にまで至る重い内容になります。
波多野睦美+高橋悠治の「冬の旅」
高橋悠治(ピアノ)+波多野睦美(メゾソプラノ)の「冬の旅」を聴きました。これが多分60種類目以上の「冬の旅」です。高橋悠治が「冬の旅」の伴奏をするのは、以前岡村喬生とのものがあるようですが、私は聴いていません。また、波多野睦美という人も初めて知りましたが、1964年生まれなのでもう結構なお年ですが、普段高橋悠治と一緒に活動している歌手のようです。私が持っている「冬の旅」のCDでは、ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)のものと比較的に近い感じで割と最近流行りの歌い方という感じです。好感が持てるのは、日本人リート歌手の場合、「劇場ドイツ語」という古くさい歌い方で、wiederをヴィーデルのように発音する人がとても多いのですが、この波多野睦美は普通の歌い方です。白井光子以来、やっと日本人歌手も普通になって来たと思います。高橋悠治の伴奏は、非常に普通で特にどうってことはないです。
獅子文六の「父の乳」
獅子文六の「父の乳」を読了。「主婦の友」に1965年1月から1966年12月にかけて連載されたもので、「娘と私」(同じく「主婦之友」に以前連載された)と対を成す自伝的作品です。「娘と私」に描かれる時代の前までの、生まれてから成人するまでの話と、それから「娘と私」で最後に娘さんが結婚した時に、獅子文六も三度目の結婚をしてそれ以降の話が語られます。そしてその三番目の奥さんとの間に、獅子文六が60歳の時に長男が生まれます。これはまったく知りませんでした。この長男は私の8つぐらい上です。前半の部分で、獅子文六が10歳の時に実父が病気で死にます。文六はこの父親にとても可愛がられました。溺愛といってもいいくらいです。正直な所前半部分はまったく面白くないのですが、この父親に可愛がられたということが、後半の伏線になります。60歳にして初めて長男を得た文六は狂喜して、自分が本当は男の子が欲しかったんだということを初めて自覚します。そして父親が自分にしてくれたように、この晩年の子供を溺愛します。また、最初のフランス人の奥さんとの出会いも書いてあって、獅子文六という人を知る上では貴重な記録となっています。最後の方は70歳を越して段々と体調が悪くなり、一種の老人性のうつ病みたいになってきて、陰鬱なトーンになります。そういう調子なので、万人にお勧めするような本ではありませんが、獅子文六自身にご興味があれば一読をお勧めします。
山中貞雄の「人情紙風船」
山中貞雄の「人情紙風船」を視聴。実はこの作品、Amazonの履歴を見ると以前も買っているのですが、ディスクは探しても見つからず、また視聴した記憶もないので、再度買い直したものです。
山中貞雄は白井喬二の「盤嶽の一生」を映画化しています。自作の映画について、白井はそのほとんどを嫌っていましたが、唯一の例外が山中の「盤嶽の一生」です。晩年になって「大衆文学百首」という短歌集を出した時の中に、「戦死せし山中貞雄をしのぶかな 盤嶽の一生 あの巧さ 良心 映画のふるさと」というのがあります。「盤嶽の一生」の中に、主人公の阿地川盤嶽が鉄砲で撃たれて足に怪我をし、他人から医者を世話をしてもらったのですが、その礼金を持ち合わせないため、夜中に西瓜畑の番をすることになります。そこに西瓜泥棒がやってくるのですが、山中の映画では、このシーンを西瓜をボールの代わりにしたラグビーのシーンで描いているそうです。(残念ながらフィルムは失われ現在観ることができません。)
結局、現在も残っている山中のフィルムは、この「人情紙風船」を含めてわずか3本だけです。山中貞雄は「人情紙風船」を撮った後招集されて中国大陸に渡り、28歳の若さでそこで病死します。
そういう経緯があってこの作品を観たのですが、私にはとても怖いホラー作品でした。海野という浪人の奥さんがとても怖く、こういう普段は従順だけど、突然無茶なことをする人って実際にいますよね。正直な所、これが山中貞雄の遺作というのは可哀想な気がします。明るい王道を行く時代劇を撮って欲しかったです。
白井喬二の「柳沢双情記」
白井喬二の「柳沢双情記」を読了。徳島県立図書館から取り寄せたのはいいのですが、何故か「禁帯出」扱い(それにしては誰も借りた形跡がない)で、神奈川県立図書館の中で読まないといけなかったのですが、全448ページでかつ2段組という大作で、結局一回では終わらず二回神奈川県立図書館に行かないといけませんでした。
タイトルに「柳沢」が出てくる通り、「柳沢保明(吉保)」とその配下である矢守田鏡圓とその弟の矢守田富次郎が悪役で、松平右京太夫(松平輝貞)とその配下である權堂倭文馬、さらにその部下である大木諄之介が、側用人同士で権力争いをして戦う話です。主人公は、その松平右京太夫の落とし胤で、大木諄之介の妹の小夜の子である大木十太郎です。小夜は綱吉の側女として献上される話があったのを、矢守田鏡圓が辻斬りで殺します。残された十太郎を叔父である大木諄之介が秘かに育てています。十太郎は世間知らずですが、剣の腕は道場で師範代にも負けないレベルになります。この作品は他の多くの白井作品を彷彿させる作品で、貴人の血を引く者が敵討ちを行うという設定は「伊賀之介飄々剣」ですし、世間知らずの若者が親の敵を相手に大活躍するというのは「坊ちゃん羅五郎」です。矢守田鏡圓と權堂倭文馬は、綱吉から命ぜられた儒教の聖堂(今の湯島聖堂)の建設地の調査を巡って争いますが、權堂倭文馬は相手の卑怯な罠にかかって、表に出られなくなり、切腹を決意しますが、一ヵ月の猶予期間の間に十太郎が矢守田鏡圓の旧悪を暴けば助かるということで、十太郎が活躍します。この十太郎がかつて大木諄之介がだまし取られた馬と家禄を取り戻すために、源八というならず者とその助っ人である榊原鐵山と戦い勝ちますが、その過程で榊原鐵山の二人の娘の内、妹の美佐保が十太郎に恋します。この美佐保は柳沢保明の屋敷に奉公に上がり、十太郎の敵討ちの証拠探しに協力します。
まあ全体のストーリーは予定調和的というかすぐ予測できるようなもので、新鮮さはあまりありませんが、白井の戦後の作品らしさが随所に見られます。
ところで、柳沢吉保って本当に色んな大衆時代小説で悪者扱いになっていますが、実際は結構善政を行い、武の時代から文の時代に幕府を導いた人で、決して悪人ではないと思いますが、例の赤穂浪士事件で浅野内匠頭に切腹を命じたのが柳沢保明ということになっていて、嫌われているようです。
「北斎とジャポニズム」展
上野の国立西洋美術館で、「北斎とジャポニズム」を観てきました。(11月4日)まず、駐車場を探すので一苦労。結局美術館から5分以上歩かなければならないパーキングエリア(1時間以内)をやっと確保しました。そういう訳でかなり急いで回りました。また、三連休中日ということで、人が多く、並んでいたので、ほとんどの展示で近寄ってじっくり観ることは出来ていません。一応小さな図録を買ったので後でじっくり観てみます。感想としては、北斎を始めとする浮世絵が日本が開国してから大量にヨーロッパに流出し(それはちゃんとした芸術作品として流出したというより、多くは日本製の陶器の包装や茶箱の装飾としてです)、それが印象派の画家に影響を与えたのは事実でしょうが、日本側からそれを過大評価するのは、「クール・ジャパン」みたいな自国文化中心主義を感じざるを得ません。技法としてより珍奇な素材として使われたケースが多かったのではないかと思います。