本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が芝野虎丸7段、白番が柳時熏9段の対戦です。芝野7段は、最近名人戦リーグにも入り絶好調。黒は3手目でいきなり左上隅の白にかかりましたが、白が受けたので、普通の布石に戻りました。その後は非常にオーソドックスな布石で逆に最近珍しいです。黒が左辺でも模様を拡げるため中央に一間に飛んだのに対し、白がその飛んだ石に付けていって、そこからちょっとした折衝になりました。黒は白が1子当てたのに手を抜いて、白にポン抜かせました。黒の構想としては、そのポン抜いた白全体を攻めていこうとしたようです。しかし、白は左辺に絡めながらうまく打ち回し、このポン抜いた白は黒1子を切り離してはっきり活きてしまいました。この辺りでは白が良かったと思います。先手の白はその後下辺を右下隅に迫りながら目一杯拡げ、黒が中央に飛んだのに更に中央に飛びました。そこで黒がケイマして、右辺の白の打ち込みを匂わせたのに対し、白はそれを受けず、中央に一間に飛んだ所からさらにケイマして黒を煽りました。黒は右辺の白の真ん中に打ち込みました。白はその石に付けていって、結局右辺で劫が始まりました。この劫は解説者の淡路修三9段には予想外だったようですが、芝野7段は予想していたようです。この劫は2段劫でお互いに1手では解消できない面倒な劫でした。芝野7段は中央への白の攻めを見せながら劫を続け、最終的には黒が下辺で白4子を取込み、劫は白が勝つという展開になりました。しかしその過程で白は左辺の石に眼を持つための手入れをさせられたりと、ちょっと固く打ち過ぎた感じです。右辺の劫は解消にもう一手かかりましたので、あまり白が得をしていない感じでした。その後先手の黒は左下隅の三々において、隅の地を稼ぎ、それから更に上辺の白地に手を付けていきました。ここの攻防は難解で攻め合い含みでしたが、結局黒はうまく活き、その代わり白は黒2子を取って中央でつながりました。しかし元が白地だったことを考えると黒の稼ぎの方が大きくここで差が開きました。その後、黒は下辺の白に対し切り込んだ後、石塔シボリで絞り、3子をアタリにしました。白はこの3子を継ぐと下辺全体で眼がなくなってしまい、ここで白の投了となりました。芝野7段の冷静な打ち回しと形勢判断が光った1局でした。
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1996年製日立の洗濯機、未だに稼働中
紀田順一郎の「蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」
紀田順一郎さんの「蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」を読了。
予想通り、涙無しには読めない本でした。三万冊の蔵書を、諸般の事情でどうしても処分せざるを得なくなり、約600冊を残してすべてを古書店に処分してしまった辛さがひしひしと伝わってきます。
また、おそらくこれが紀田さんの最後の著作になるのではないか、という感じを強く受けました。巻末に紀田さんの詳細な年譜が載っていますが、今までの著作にはこんなものはありませんでした。また膨大なレファレンス文献を失った今、紀田さんがかつてのような著作を書くことを続けることはもう不可能なように思います。その年譜で紀田さんが大衆文学にも深く関わっていたことを知りました。また、J社との関わりについてもこの年譜にかなり載っているので、J社の方は読まれることをお勧めします。
今こそ紀田さんにお話を伺いたいことがたくさんあるのですが、残念ながら紀田さんのメールアドレスは変わってしまっており、現在連絡が取れなくなっています。
私個人で言えば、現在収集している白井喬二の作品を、いつかは公共機関に寄贈しようかと思っていたのですが、今はそれが非常に困難(受け付けてもらえない可能性が高い)なことがよく分かりました。後の書籍は私は引っ越しする度に処分しているので、それほどの数にはなっていません。それよりどちらかと言うと、クラシック音楽のCDの方が問題。私が死んだら大学の古巣のサークルに寄贈しようかと思っていましたが、たぶんそこの部室にはとても収録できないと思います。
後は、日本では公共図書館がイマイチ役に立たないので、個人が自分で蔵書するしかない、というのもよく分かります。先日、白井喬二の「黒衣宰相 天海僧正」の残りを読むために、福井県立図書館から雑誌「大法輪」を取り寄せましたが、その内のわずか数冊が国会図書館他の都内の図書館にもあるという理由で、図書館員からねちねち文句を言われました。日本の図書館には未だに「公共サービス」という視点が欠けています。この日本の図書館のレベルの低さを教えてくれたのも紀田さんでした。
平凡社版完訳四大奇書「西遊記」下巻
平凡社版完訳四大奇書「西遊記」下巻を読了。この日本語訳の底本になっているのは、康熙33年(1694年)刊行の「西遊真」とのことですが、バランスの良いダイジェスト版であり、しかも分量的には文庫本で4~5冊分ある量であり、一般的には岩波文庫の10巻本まで読まなくても、こちらで十分だと思います。しかも、岩波文庫版と本版の違いは、岩波文庫の方に漢詩とか本筋と関係のない蘊蓄などが追加されているのが主みたいです。
全100回を通して、結局三蔵法師は合計81回もの災難に遭います。9X9というのに意味があるみたいです。よくもまあこれだけ登場させたというぐらい大小の妖怪が登場し、三蔵法師を食べようとしたり、婿にして関係を結ぼうとしたりします。そのかなりの部分が単なる動物が化けたものではなくて、何らかの仏様か道教の道士の元から逃げ出した何かであって、大抵の場合特殊な武器を持っていて、悟空を悩ませます。結局、悟空達が自分達だけで解決できることはほとんどなく、多くの場合仏や道士達の力を借りて妖怪を退治します。そういう戦いを通じて、悟空達も次第に成長していき、始めばらばらだった三蔵法師と三人の弟子と竜が化けた馬のチームのチームワークも良くなっていきます。この辺り、ちょっとビルドゥングスロマンとしても読めます。
実際の玄奘三蔵が持ち帰った経典は675巻らしいですが、西遊記では1万5千巻以上ということに誇張されます。どう考えたってそんな量を馬一頭で持ち帰ることは不可能と思います。また、実際のお経はすべて梵字(サンスクリット語)で書かれていますので、それをいきなり読める訳ではなく中国語への翻訳が必要で、実際に玄奘三蔵はインドから帰った残りの日々をすべて経典の中国語訳に費やします。しかし、結局持ち帰った経典の内1/3だけを翻訳しただけで人生を終えます。
ともかく、この歳になって、子供向け版ではなく、ちゃんとした西遊記をきちんと読めたのは良かったと思います。
平凡社版完訳四大奇書の「西遊記 上巻」
平凡社版完訳四大奇書の「西遊記 上巻」を読了。写真だと大した分量じゃないように見えますが、字が小さい上に何と1ページ3段組なので、実際はかなりの分量がありますし、ちょっと老眼には辛いです。でも読み出すと面白くて止まらなくなります。上巻だけで54回に分かれていて、1回1回はそれほど長くないので飽きずに読み進めていくことができます。内容は元祖「伝奇小説」という感じで、本当に面白いです。よくもまあこれだけの妖怪を出してくるなあ、というのが正直な感想で、悟空も万能でいつも勝利するのでは決してなくて、逆にほとんど常に危なくなって、かなりのケースで観音様その他の助けを借りてやっと何とかしのいでいるという感じです。一つ大人として読んで気がついたのは、この小説では道教と仏教がほとんど対等のものとして混淆して出てくるということです。三教ということで儒教も一応形だけは出てきますけど、実際は儒教に関係する登場人物は上巻には登場しません。仏教というのは日本でも神道と混淆しますが、この小説では菩薩が蟠桃会に招かれて出かけたりと、道教と仏教の世界がごちゃごちゃです。また、「封神演義」とも結構共通するものを感じますが、「封神演義」もまた明代の小説でした。三蔵と八戒が川の水を飲んで妊娠する話も確かに出てきました。話としては短く、無くてもいい話なので、子供向け版で削除されたのはわかるような気がします。後は、三蔵法師と三人の弟子と、竜が化した馬のチームのチームワークがかなりばらばらだということ。そこがきれい事ではないリアルなお話を作っているような気がします。三蔵法師も理想的な人物ではなく、すぐ悟空のことを疑い、八戒に簡単に騙されたりする人物として描かれています。
2017年11月7日時点での白井喬二未読作品
白井喬二の作品もかなり読んできましたが、2017年11月7日時点で未読の作品をまとめておきます。エッセイ、評論、児童向け、翻訳書を除きます。
単行本として出版歴のあるもの。
・『若衆髷』サイレン社 1936
・『平手造酒』(任侠小説傑作選)博文館 1940
・『彦左一代・地龍の巻』淡海堂 1942
・『彦左一代・天馬の巻』淡海堂 1942
・『新説岩見重太郎』文芸図書 1952
・『時代小説 しぐれ草紙』恭誠社 1958
・『麒麟老人再生記(久米城クーデター余聞)』(絶筆)ぎょうせい(ふるさと文学館第37巻鳥取)1995
単行本として出版歴のないもの。
・『銀の火柱』淑女画報 1920年4月-1921年3月
・『鼓の仇討』人情倶楽部 1921年12月
・『極秘天狗評定』人情倶楽部 1923年1月
・『銭面群像』文化画報 1923年9月
・『日本阿房宮』サンデー毎日 1923年4-6月
・『隠蓑道中記』人情倶楽部 1924年1月
・『正雪塾の大模擬戦』中学世界 1924年2月
・『町の編纂者』猟人 1924年7月
・『古代マーチ』(戯曲)苦楽 1924年8月
・『真言秘密大全』苦楽 1924年1-2月(モデルにされた人物よりの抗議のため、連載2回で中断[28])
・『講談浦島』人情倶楽部 1924年6-10月
・『六韜三略大巻』苦楽 1924年8月-1925年3月
・『怪畜楼秘話』独立 1925年1月
・『密状霊験記』写真報知 1925年2月
・『続怪畜楼秘話』独立 1925年5月
・『白欄谷の秀吉』人情倶楽部 1925年6月
・『侠客神髄』苦楽 1925年6-8月
・『明暗の峠』主婦之友 1925年7月-1926年12月
・『銭番義塾』大衆文藝 1926年3月
・『孔雀茶屋論争』演芸画報 1927年10月
・『鞍馬多門の話』サンデー毎日 1928年9月
・『日本鉄仮面』講談倶楽部 1928年1-12月
・『時代日の出島』婦人倶楽部 1928年1-12月
・『経国美談の冒頭』自由評論 1929年1-3月
・『人肉の泉』主婦之友 1930年4-12月(一部読了)
・『白痴』朝日 1931年1月
・『猩々の唄』文藝倶楽部 1931年1月
・『江戸から倫敦へ』現代 1931年1月-1932年6月
・『明治偉仰記』日本青年新聞 1932年?月
・『恋華落人』婦人公論 1932年12月
・『大石内蔵之助』モダン日本 1933年1月
・『天誅組』講談倶楽部 1933年1月-1934年6月(一部読了)
・『忠常の善政』文藝春秋 1934年4月
・『山中鹿之介』オール読物 1934年6月
・『花火の史実』経済往来 1934年8月
・『愛憎火事』オール読物 1934年10月
・『国史逸話拾遺』話 1934年6-7月
・『へり下りの利七』サンデー毎日 1934年?月
・『風流刺客』冨士・増刊号 1935年10月
・『東海の佳人』キング 1935年1月-1936年3月(一部読了)
・『鷹の羽頭巾』日の出 1936年2月
・『景清坂』講談倶楽部・増刊号 1936年9月
・『繍線菊』婦人倶楽部 1936年9月
・『女清正』冨士・臨時増刊号 1936年10月
・『荒城の娘』掲載誌不明 1936年?月
・『昼夜車』モダン日本 1936年1月-1937年9月(一部読了)
・『般若の雨』・『関根弥次郎』日の出 1937年2月
・『鯖倉政談』講談倶楽部 1937年9月
・『親心紅白陣』冨士 1938年5月
・『日本刀』現代 1938年6月
・『剣士平手造酒』日の出 1938年6月
・『蝦夷菊刀』週刊朝日 1938年9月
・『相馬大作』日の出 1938年11月
・『強い影武者』冨士・増刊号 1939年6月
・『後藤又兵衛』現代 1939年10月
・『梁川無敵行状』冨士 1939年10月
・『鶴亀武士道』冨士 1939年11月-1940年12月
・『椿の大獄』週刊朝日 1940年1月
・『風雲』報知新聞 1940年9月-1941年5月
・『戦国志』中部日本新聞 1942年9-10月
・『橘軍記』毎日新聞 1945年2-6月
・『層雲』時事新報 1945年
・『梶原恋慕流』講談倶楽部 1950年1月
・『稚児頭巾』面白倶楽部 1950年7月
・『いがみの権太』オール読物 1950年10月
・『水滸伝』週刊読売 1950年4-9月
・『岩見重太郎』京都新聞 1950年5-12月
・『石切梶原』掲載誌不明 1950年?月
・『盤嶽の仇討』オール読物 1951年12月
・『覆面英雄』オール読物 1952年3月
・『品川老人』小説朝日 1952年10月
・『新説相馬大作』共同通信系の地方紙夕刊 1952年12月-1953年6月
・『修羅・楽園』京都新聞 1953年7月-1954年9月
・『戦国紳士録』社会タイムス 1953年
・『追討ち地獄』 1954年3月
・『猿の剣法』小説の泉 1954年4月
・『ごろつき人情』傑作倶楽部・特集号 1954年12月
・『筒井女之助』週刊朝日別冊 1960年11月
・『捕物にっぽん志』歴史読本 1961年6月-(約2年間)(一部読了)
・『真刀水滸伝』京都新聞 1961年6月-1962年4月
・『平家の羽左』NHK 1962年
・『人物スケッチ』日本読書新聞 1963年3月
・『日本三景』東京タイムズ 1963年7月~終了不明
・『家康の素描』歴史読本 1964年4月
・『鳴龍日記』小説新潮 1964年7月
・『伊藤一刀斎』歴史読本 1964年10月
ピーター・ヤン・リューシンクのバッハ教会カンタータ全集
J.S.バッハの教会カンタータについては、「選集」は2つ持っていて、カール・リヒターの26枚組と、フリッツ・ヴェルナーの10枚組です。でも、バッハの教会カンタータはいつかは全部聴いてみたいと思っていました。HMVとAmazonを検索したら、定評ある鈴木雅明のが出てきますが、2万6千円くらいとちょっと決心のいる価格です。Amazonをもっと検索してみたら、ピーター・ヤン・リューシンク指揮ネーザーランド・バッハ・コレギウムの物が出てきて、これが50枚組で¥8,597、実に1枚170円くらいという掘り出し物でした。Amazonでのレビューも上々だったので、これをポチりました。この価格だとさすがに歌詞ブックは付いていませんが、それは別に書籍で持っているので私には不要です。少しずつ聴きたいと思います。バッハの教会カンタータは、実際に日曜毎に教会で歌われるために作曲されたもので、本当はそれぞれの日曜日のために作られたカンタータを一曲ずつ聴いていくとよりいいのですが、さすがにそこまで暇ではありません。
ザンドナイの「フランチェスカ・ダ・リミニ」
「富士に立つ影」は「デューン」に似ている?
本日、Eigoxというオンライン英会話のレッスンがあって、その中で私が白井喬二の「富士に立つ影」のストーリーについて説明したのですが、何とその先生にフランク・ハーバートの「デューン」(「砂の惑星」の名前で映画化されて有名)とストーリーが似ていると言われました。このSFは兄が好きだったので家にありましたが、私は読んでいません。今度トライしてみます。
NHK杯戦囲碁 秋山次郎9段 対 黄翊祖8段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が秋山次郎9段、白番が黄翊祖8段の対戦です。双方中々の実力者同士の対戦です。布石は最近の碁としては珍しく、双方がカカリを打たず自陣を締まって、黒が右半分、白が左半分に模様を張るという展開になりました。白は右上隅の黒のシマリに最近流行りの肩付きを打ちましたが、黒は普通に受けず中央からかぶせました。白はそれに受けずに右辺の黒にボウシし、見たことがない形になりました。結局白は右上隅に潜って黒3子を取って活きましたが、黒からは右辺からか上辺からか利かしがありましたが黒はどちらも行使せず右下隅を打ちました。白はすかさず右上隅に1手かけて黒からの利きを回避しました。黒はそれに対して下辺を拡げました。白はそこで右下隅の黒のシマリに付けていきました。黒も最強に応じましたが結局ここは白から打てば劫になるというまま放置されました。黒はその後左辺に打ち込みます。それに白は受けずに上辺を打ちました。黒は左下隅に付けていきました。結果黒が左下隅を地にしましたが、白は厚くなり、最初に左辺に打ち込んだ黒が取り残されました。ここから囲い合いでは白がいいと見て、黒は左辺の石を担ぎ出しました。黒は中央の白の薄身をついて結局白数子を取り込んで左辺の黒の半分程を生還させました。これは黒の大きな戦果でしたが、白も上辺を打ち、かつ左辺を確定地にしており互角でした。ここで白が右上隅の黒に寄り付いて劫にしたのが上手く、白はここで右下隅の白が活きる手を劫材に使いました。この劫材は何手もあって黒は相手に出来ず、黒は劫を解消し、白が右下隅で活きました。この分かれではっきり白が優勢になったようです。その後黒は左上隅にからめながら上辺に手を付け、結局かなり大きく活きることが出来ましたが、その過程で白も中央の黒2子を抜いて厚くなり、差はあまり縮まりませんでした。結局白の6目半勝ちで黒はコミを出すことが出来ませんでした。