白井喬二の「春月を語る」(エッセイ)

白井喬二の「春月を語る」(エッセイ)を読了。南北社の「南北」という文芸誌の1968年2月号に掲載されたもの。1968年といえば、白井が「大法輪」に「黒衣宰相 天海僧正」を連載している頃で、白井は77か78歳でしょうか。「春月」とは言うまでもなく、詩人の生田春月のことです。生田春月は白井と同郷の米子の生まれで、白井の3年後に生まれ、白井と同じ角盤高等小学校で白井の二年下でした。しかし、春月は実家の酒造業が破綻を来して、小学校を中退せざるを得なくなります。17歳の時に生田長江の書生になり、文学とドイツ語他の語学を学びます。そしてハイネに傾倒しその詩を訳したり、自分でも詩を発表するようになります。しかし、38歳の時に瀬戸内海で船の上から投身自殺します。
白井は単に小学校の同窓としてだけでなく、春月が小学校を辞めた後も一種の文学仲間として付き合いを続けます。また、白井によれば春月が朝鮮に滞在した際に、毎日のように春月から白井に短歌が送られて来たそうです。
白井はそれまで求められても春月の思い出を文章にすることはなかったそうですが、その白井がこの一文を寄せたのは、詩人の広野晴彦が、「定本生田春月詩集」を編み、自身が詩人でありながら、春月の生涯を調べ尽くそうという氏の情熱にほだされてのことのようです。
私自身も既に38年も前に亡くなった白井喬二の作品をひたすら追い求めている訳で、その私が生田春月を追い求めた広野晴彦氏の話を読むというのも何かの縁のように思います。