NHK杯戦囲碁 小池芳弘7段 対 富士田明彦7段(2022年9月25日放送分)


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が小池芳弘7段、白番が富士田明彦7段の、最近勝ちまくっている若手対決で、噛み合う対戦でした。しかも二人は高林拓二門下の同門で、富士田7段が先輩とのことでした。なので小池7段からすれば勝って「恩返し」したい所、富士田7段からすれば成長著しい後輩に先輩の貫禄を見せたい所でした。局面が動いたのが右辺の攻防で、白が右下隅にかかった石からの一団がまだ治まって、ないのに、右辺上方に打ち込んでいってからです。黒は右辺中央の石から右辺下方の白にもたれて強化し、右辺上方の石をボウシで包囲しました。白はここで右上隅の黒の二間高締まりの間に付けて行きました。ここの折衝で、黒が1子を捨てて下から当てて行ったのが冷静で、白が若干厚くなったものの、黒は右上隅から右辺で40目以上の地を確保し、黒が優勢になりました。黒はその後左下隅にも潜り込んで活きたため、4隅取った形で地合いは更に開きました。こうなると白は中央と左辺でどのくらい地を作れるかの勝負になりました。黒は右下隅からつながっているかが微妙な位置に出て行きました。結果から見ればこの「つながっているかどうか」が勝敗を分けるカギになりました。黒はその石の繋がりを確かにする手を打たず、白の左下隅を脅かしつつ中央に進出して白地を削減し、順調に優勢を保っていました。どこかでバックして中央と右下隅を確実に連絡しておけば勝ちだったと思いますが、実戦心理として、つながるだけで地にはならない手を打つには抵抗があり、それが災いしました。富士田7段が一瞬の黒の隙を衝いて1目を捨てて巧みに白の眼を奪い、そして中央と右下隅の白の分断を決行しました。中央の黒が上辺の黒とつながりそうでつながらないのも読み済みで、黒はもう一眼が作れず、大石が憤死しました。富士田7段の中押し勝ちで、まるで故加藤正夫9段のような殺し屋ぶりを1回戦に続いて発揮し、見事に先輩の貫禄を見せました。

P.S. 故高林拓二6段について、正直な所あまり知識が無かったので調べてみました。ご本人の棋士としての活躍はそれほどでもなかったようですが、弟子がすごいです。許家元九段、富士田明彦七段、小池芳弘七段、伊藤優詩五段、張瑞傑五段、外柳是聞四段、日野勝太初段。日野初段のインタビュー記事によると、高林6段に生前(2019年7月に亡くなられています)に1,000局以上対局してもらったそうです。通常囲碁の師匠は入門の時に一局だけ打って、後は弟子同士が対局するもので、木谷道場とかは特にそうだったと思います。例外的に石井邦生9段が井山裕太4冠を、その才能を見込んでやはり1,000局くらいオンラインを中心で打って鍛えた、というのがありますが、弟子達の素晴らしい活躍振りを見る限り、高林6段は、全ての弟子と多くの対局を繰り返したのかなと思います。ご本人の、例えば本因坊戦や名人戦リーグに入るとか、タイトルの挑戦者になる、タイトルを取る、そういう夢は残念ながら叶わなかったのですが、それを弟子に託して鍛え上げる、これはこれで素晴らしい棋士人生だったのではないでしょうか。

「謹啓ー敬具」問題ー大正時代の手紙の書き方本の説明


芳賀矢一・杉谷代水合編「書翰文講話及び文範」(冨山房、大正2年初版の手紙の書き方と例文集で、当時の大ベストセラー)にて、手紙の前文(拝啓など)、と末文(敬具)などについて確認しました。
(1)そもそもこの手の「拝啓」「敬具」等は候文の手紙用であり、口語文の手紙では本来は付ける必要無し。
(2)江戸時代までは前文は「一筆啓上仕候」などと書いたが、明治になって簡略化されて2文字が多くなった。但し「頓首再拝」「恐惶謹言」などの4文字タイプも使われていた。
(3)拝啓の場合は敬具、謹啓の場合は謹言、といった前文と末文が呼応するといったことはまったく書いてない。
(4)「慶弔、感謝など儀式張った場合には同輩でも「謹言」「敬具」を用いてよい。」とあり、そもそも敬具も謹言も元はある意味堅苦しい上位者への手紙に使うものであり、またその2つとも慶弔の場合に用いて良いとあり、「謹言」が「敬具」より丁寧、ということも言っていない。
要は時間が経って候文が廃れていくと、その本来の書き方が分らなくなり、いつしか「謹啓の後は謹言で結ぶ」といったローカルルールを勝手に作り出す人が出てきて、それがあたかも正しい用法のように思われるようになっただけだと思います。または「格別のご高配」と同じで、本来目上にしか使わなかった「謹啓」が多用されるのは、ともかく丁寧に書けばOKという、敬意のエスカレーション現象かと思います。
(ちなみにジャストシステム時代に冨山房に電話し、この書籍の著作権について問い合わせたことがありますが{候文の例文集を作ろうとしていました}、口頭ですが「自由に使って良い」という返事でした。本当はどこかがこの本再版して欲しいんですが。復刊ドットコムに登録はしています。また、芳賀矢一、杉谷代水共に没後70年以上が過ぎており、著作権は失効しています。)それから、ローカルルールと言えば、封書の閉じる所には現在は「〆」(というよりメ)と書くと教わったと思いますが、これは元々女性用であり、男性は「緘」「糊」「封」などを使っていました。私は高校の時に漢文の先生に、「緘」と書けと教わりました。今でも一部の官公庁とか銀行などで、スタンプで「緘」を押したものを見ることがあります。