小林信彦の「四重奏 カルテット」

jpeg000 227小林信彦の「四重奏 カルテット」を再読。2012年に出版。
「夙川事件 -谷崎潤一郎余聞-」(2009年)、「半巨人の肖像」(1971年)、「隅の老人」(1977年)、「男たちの輪」(1991年)の四つの中篇を収録したもの。「隅の老人」は「袋小路の休日」に入っていたものと同じですが、固有名詞が他の中篇と合わせるために一部変更されています。
ここのところ、小林信彦の1990年代のはっきりいって出来の良くない小説をずっと読んできて、正直辟易してきていましたが、ここに収められた四篇はいずれも読み応えがあり、小林信彦の作品の中では上位に入るものと思います。
「夙川事件」は、谷崎潤一郎の原稿を依頼に行っていた博文館の渡辺温が西宮の夙川の踏切で事故死する話を中心に、江戸川乱歩や横溝正史と谷崎潤一郎の関わりを描きます。(谷崎潤一郎は、この渡辺温の事故に責任を感じ、「新青年」に「武州公秘話」を連載することになります。)
「半巨人の肖像」は、その江戸川乱歩を氷川鬼道の名前で描く物で、小林信彦が宝石社でヒッチコックマガジンの編集者として乱歩に抜擢され、その下で雑誌を作っていた頃のことが描かれます。
「隅の老人」はその宝石社に嘱託として雇われていた真野律太の話です。真野律太は、博文館で「譚海」という児童雑誌の編集に携わり、出版部数を一桁台から最終的には三十万部を超えるまでにした伝説の編集者でした。しかし人間関係で博文館を退社し、その後小さな新聞社を転々とし、宝石社に拾われる前は浮浪者でアル中になっていました。最初、真野律太は新しく宝石社に入ってきた小林信彦を煙たく思うのですが、ふとしたきっかけで小林信彦が国枝史郎に興味を持ってその本(「神州纐纈城」)を探していることを知り、親しくなります。
「男たちの輪」は、その宝石社での編集長時代に翻訳家の稲葉明雄や、常盤新平と知り合い、稲葉明雄とは友情を育みますが、常盤新平には裏切られたのですが、そのことをある意味執念深く書いています。「夢の砦」の後半部とかなりかぶります。

古今亭志ん朝の「火焔太鼓、坊主の遊び」

jpeg000 221今日の落語、古今亭志ん朝の「火焔太鼓、坊主の遊び」。
「火焔太鼓」は志ん生が得意な噺で、私も前に志ん生で聴いています。志ん生と志ん朝が同じ噺を語った場合、多くの場合は私は志ん朝の方を好ましく思うのですが、この噺に関しては志ん生のとぼけた味の方が勝るように思います。この志ん朝の録音は1966年で志ん朝がまだ若い時のもののためか、勢いだけで演じているような感じで味わいがイマイチに思います。
「坊主の遊び」は、頭を丸めているご隠居さんが、吉原に女郎買いに出かけて、敵娼が酔っ払って寝てしまったので、その頭を剃刀で剃ってしまう、というちょっとひどいお噺。あまり語られることがなく珍しい噺のようです。