白井喬二の「祖国は何処へ」(総評)

白井喬二の「祖国は何処へ」は白井喬二の二番目の大長編作です。白井喬二自身によれば、単行本は「富士に立つ影」の1/4も売れなかったとのことですが、「富士に立つ影」が300万部超ですから、1/4弱としても70万部程度売れたことになります。十分ベストセラーだと思います。また、この作品は「時事新報」という新聞の朝刊に連載されたものですが、連載回数は「富士に立つ影」と同様に1000回を超え、この連載が終わった時には時事新報の購読者が一気に14万人も減ったそうです。
お話しとしては、スケールが大きく、物語の舞台も江戸、信州・上州、越後、江戸、下総、伊豆諸島、中国(清)、そしてまた江戸と移り変わります。ただ、中国(清)でのお話しは、あくまでも日本人が見た中国そのもので、中国らしさはあまり出ていないように思います。また、安藤昌益の「自然真営道」に基づく、原始共産制、農本主義みたいな思想の主張が珍しく、よく戦前に許可されたなと思います。
この作品は出版上では冷遇されていて、戦後は扶桑書房から最初の3巻だけ出て終わってしまったようです。故に完全版としては旧字・旧かなの戦前のものしかありませんし、古書店で入手するのもかなり困難です。(私は春陽堂書店の日本小説文庫版全9巻を25,000円払って購入しました。)
もう少し再評価されてもいい作品ではないでしょうか。

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白井喬二の「祖国は何処へ」[9]寸終篇

jpeg000-21白井喬二の「祖国は何処へ」第九巻、寸終篇を読了。
この物語もいよいよ最終巻に到達しました。全藩組の蜂起から15年が経っています。南條芳之と児玉は蜂起の際に、捕り手に斬り殺されてしまっていました。水野忠七郎は、全藩組の蜂起の責任を取らされて失脚し、裁きを受けるのを免れるため、あちこちを逃げ回っています。芳之に刺された傷が元で体もすっかり不具になり、昔日の貫禄はまるでありません。忠七郎は阿佐太夫にさえ裏切られてその屋敷から追い出され、それとは知らずに、田村喜徳の屋敷の離れに匿われることになります。田村喜徳は越後で、忠七郎のために母親が餓死させられており、復讐のため忠七郎を餓死させることを一生の目的としていました。そして今こそその機会がやってきて実行します。しかしながら後一歩の所でひるんでしまいます。続けて今度は妻木幡乃助が、忠七郎に手籠めにされて狂ってしまった姉の仇を果たそうと、今は立派な大人になった忠七郎の娘の友江を辱めようとします。しかし友江の悲愴な顔を見るとそれを実行することが出来ません。そうしている内に、忠七郎の口から、臺次郎が忠七郎の弟であるという告白を聞きます。一方田村喜徳は、御用商人を仇と狙う若者侍達に屋敷に斬り込まれて、屋敷を封鎖されてしまいます。喜徳は、江戸を離れて元の一文無しに戻る決意をし、今は尼となっているお才に挨拶に行きます。そしてついに金乃美と一緒になって三人の子供もある臺次郎の所にも挨拶に行きます。その場に幡乃助がやってきて、水野忠七郎と臺次郎が兄弟であることを知らせます。臺次郎は今までの行動が全て無駄になってしまったような、あるいはまた好悪の世界がふっとんで、人生とはこういうものだ、という達観した気持ちになります。

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