白井喬二の「さらば富士に立つ影」

jpeg000 236白井喬二の晩年になってからの自伝(出版は没後)「さらば富士に立つ影」を読了。一言で言うと、非常に育ちの良い人で、白井喬二の書く主人公に明朗型が多いのは、作者自身の性格を反映していると思います。またお父さんが警察官で全国色んな所を移り住んでいるのも、作者の幅広い視点につながっていると思います。白井喬二は米子中学(今でいえば高校)時代から、既に新聞で小説を連載していて、非常に早熟です。ちょっとまんが道の藤子不二雄の二人がやはり高校時代に新聞に漫画を連載していたのを思い出しました。
この本で知ったことで、驚いたのは、「富士に立つ影」の登場人物の赤針流の熊木伯典と、賛四流の佐藤菊太郎が歴史上実在の人物だということです。ちゃんと子孫もそれぞれいるそうです。
また、学芸書林の白井喬二全集が第一期で終わって、第二期が刊行されていない理由ですが、白井喬二自身が第二期の刊行を断ったということです。学芸書林はその頃の新興出版社で、色々と不手際が多かったようです。今思うと返す返すも残念なことです。

三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~お累の自害」

jpeg000-5今日の落語、じゃなくて怪談噺、三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~お累の自害」。新吉とお累の間には男の子が生まれましたが、それが死んだ兄の新五郎とそっくりで、二人の仲も冷めてしまいます。そうこうしている内に、新吉は名主の妾のお賎と知り合いいい仲になります。三蔵はこのことについてお累に意見をさせますが、新吉はこれを逆恨みし、お累に冷たく当たるようになります。お累は病になりますが、新吉は家の蚊帳さえ質に入れてしまい、子供が蚊に喰われても意に介しません。三蔵が見かねて、家から蚊帳を持ってこさせますが、新吉はその蚊帳さえ質に入れてお賎と飲むお金に変えます。その時に言い争って、誤って熱湯を男の子にかけてしまい、男の子は死んでしまいます。お累は、一人残された後、新吉がお久を殺した鎌を取って喉を切って死にます。お賎の所にいた新吉には、お賎の幽霊が死んだ子を弔ってくれるように頼みに来ます。
どうもシリーズ中でも一番の陰惨な噺です。圓生の「真景累ヶ淵」は後「聖天山」を残すのみです。