白井喬二の「神曲 左甚五郎と影の剣士」

jpeg000 230白井喬二の「神曲 左甚五郎と影の剣士」を読了。白井喬二の1972年の書き下ろし作品。白井喬二の作品はほとんどが雑誌や新聞に連載されたもので、書き下ろし作品とされたものを読んだのはこれが初めてです。1972年といえば、白井喬二はもう83歳です。何でも昔の読者から、以前のような作品を書いて欲しいと頼まれて書いたものだそうです。さすがに戦前の作品に比べるとかなり落ちる作品ですが、主人公の「影の剣士」こと、森十太郎は、なかなか不思議な魅力のある人物です。学者であった父親に学問と武芸を仕込まれて、若くして天才児と呼ばれ、文武両道に優れた人間になるのですが、ある時から逆に身についたものをどんどん捨てていこうとします。その過程で妻を7人変えたりしています。(もっともこれは本人がそういうだけで本当かどうかは分からないのですが。)結果的に剣については、十全剣法というものを完成し、名だたる剣の名人と斬り合ってもまったく危なげなく勝ってしまう程の腕になります。この「影の剣士」が、ある幕閣から、ある人物の顔を持った「貘(ばく)」の像を彫って欲しいと頼まれた左甚五郎の用心棒をします。この幕閣は、政敵を追い落とそうという陰謀を込めて、左甚五郎に像を頼んだのでした。しかしながら、甚五郎はそうした背景をある程度知りながらも、芸術家らしい野心でその像を引き受けます。
これがもしかしたら白井喬二の最後の長編なのかもしれません。そう考えるとちょっと寂しいです。

三遊亭圓生の「夏の医者、庖丁、佐々木政談」

jpeg000 226今日の落語、六代目三遊亭圓生の「夏の医者、庖丁、佐々木政談」。
「夏の医者」は以前、桂枝雀で聞いたことがあります。枝雀のは所作がかなり大きいダイナミックなものでしたが、圓生のはごくオーソドックスです。
「庖丁」は、友達に間男の役を演じさせ、女房に難癖つけて縁を切って売り飛ばしてしまおうとたくらむけど、結局その友達と女房が出来てしまうという、「駒長」にちょっと似た噺。
「佐々木政談」は以前志ん朝ので聴きました。一休さん頓知噺にも似た、利発な子供のお噺。