和気シクルシイ著「戦場の狗 ある特務諜報員の手記」

和気シクルシイ著の「戦場の狗 ある特務諜報員の手記」を読了。昨日読んだ「まつろわぬもの」との関係は、2つを合わせたものが元々シクルシイ氏の手記であり、最初に出版された「戦場の狗」がかなり氏の諜報員としての活動に焦点を置いて、氏の少年時代の話などをはしょっているのに対し、後者が逆にその切り捨てられた少年時代を中心に構成したものです。そういう意味でこの2つは両方読んで初めて意味があるものになります。
という訳で、この本ではシクルシイ氏の中国や東南アジアでの活動がかなり詳しく書かれています。しかし読んで奇妙なのは、一体何のためにこういう活動をしているのかが不明だということです。松岡洋右が命じたのは、日本軍が非道なことをしていた場合にその証拠集めということですが、もしかすると松岡洋右はその内軍部と完全に対立して相手の力を削ぐ必要が出て来ると考えて、軍の弱味を秘かに握ろうとしたのかもしれません。しかし松岡洋右は太平洋戦争の初期に失脚して酒に溺れやがて病気になり、太平洋戦争の中期以降はもはやシクルシイ氏へ直接命令することをしていないようです。シクルシイ氏への命令は氏と同じようにして教育された相沢中佐からだったようですが、この人が出している命令も謎で、戦略的・戦術的な価値としても不明ですし、また日本軍の非道を暴くにしても、結局後から追いかけているだけです。そのせいなのか、例えば南京大虐殺の話も出てきますが、シクルシイ氏は死者が20万人とか30万人といった、ほとんど中国側が主張しているある意味ナンセンスな数字をそのまま肯定していたりします。そしてシクルシイ氏は東京裁判に最初は松岡洋右の政策遂行についての証人として呼ばれ、松岡が病死した後は、彼自身の所業が審議対象になりますが、結局は戦犯的な行為は見つからず、仮釈放になります。
私の推測ですが、松岡洋右がシクルシイ氏のような人間を育てたのは、一義的には満鉄のために働く人材の養成だったのでしょうが、松岡個人としてはもっと大きく将来の日本のために有用な人間を養成したかったのではないかと思います。松岡は対米戦争には終始反対しており、アメリカと戦争すれば日本が必ず敗北することを、9年間アメリカが暮した者として正確に理解していました。しかし彼がやったこと、つまり三国同盟の推進やソ連との不可侵条約締結は、対米戦争の抑止にはならず、むしろ逆効果でした。そういう意味で晩年の松岡は失意の中にあったようです。なお、松岡が戦争に走った張本人のように思われているのは、東京裁判で病死した松岡を、他の者がすべての責任を押しつけて悪者にした、という要素もあるようです。
ともかくもシクルシイ氏の2冊の本は色々と考えさせられる良書でした。2冊で細部に矛盾がある記述もありますが、75歳のときに50年以上前のことを思い出しながら記述しているのですから、いくら記憶力抜群だったシクルシイ氏とはいえ、それはやむを得ないのかと思います。