古田博司の「旧約聖書の政治史 預言者たちの過酷なサバイバル」

古田博司の「旧約聖書の政治史 預言者たちの過酷なサバイバル」を読了。この本は元々Willに連載されていたもので、著者もどちらかというとそちら系の人です。ですがまあ面白かったです。またタイトルから想像されるような学問的なものではまったくなく、著者の直感や想像や他の国の歴史からの類推に基づく自由なものです。だからといってそういうアプローチが否定されるべきかというと、旧約聖書のような古い時代の「文献」については、精確な科学的なアプローチというのもほとんど不可能です。この本で何度も言及されているマックス・ヴェーバーの「古代ユダヤ教」だって、述べられていることの多くはヴェーバーの直感に基づくもので、聖書学者の田川健三なんかはぼろくそにけなしています。そういう本であっても、正直な所旧約聖書の世界には疎い私にとって、旧約の世界に多少なじむきっかけにはなったと思います。この本を読んで改めて感じたのは、旧約のヤーウェという神はひたすら偶像崇拝、異教の神の崇拝を禁じ、それを犯したユダヤ人に対してしばしば罰を与えていますが、ユダヤが亡国の民となるまでの間、ヤーウェだけが純粋に崇拝された時代はほとんどないということです。ユダヤ人の国の全盛期はソロモン王の時ですが、そのソロモンですら晩年は偶像崇拝にふけっています。最後の方で預言者達が「先祖が偶像崇拝の罪を犯したので、ヤーウェが怒ってユダヤの国を滅ぼした」といういわゆる「苦難の神義論」は、そう考えるしかなかったというきわめて屈折した神概念だと思います。