洪道場編の「進化を続ける アルファ碁 最強囲碁AIの全貌」

洪道場編の「進化を続ける アルファ碁 最強囲碁AIの全貌」を読了。この本は藤沢里菜女流本因坊のツィートで知りました。まず洪道場というのを知らなかったのですが、洪清泉三段が主宰するアマ・プロを問わない研究会(道場)なのですが、そこから出てきた棋士がすごいの一言で、一力遼7段、平田智也7段、呉柏毅 3段、芝野虎丸3段、そして藤沢里菜女流本因坊などがこの道場の出身です。
この本は、その洪道場のメンバーが、アルファ碁の進化版であるMasterが早碁で超一流棋士60人(重複有り)と対局した棋譜を検討したものです。ご承知の通り、早碁とはいえ、この60局の全てでMasterが勝ったのですが、ともかくMasterの強さに恐れ入ります。その強さというのは人間より読みが優れているというのではなく、構想が人間の上を行っている、形勢判断が人間より優れているという印象です。従って坂田栄男9段みたいな鋭い手(鬼手)が飛び出てそれで勝つと言うより、棋聖秀策や、全盛期の呉清源9段、または藤沢秀行名誉棋聖のような、打ち回しの素晴らしさで勝っている印象を強く受けます。とはいっても、Masterの強さは人間の棋譜をディープラーニングで学習することで得たものであり、人間の手から飛び離れているかというと、そこまでは感じません。今後Masterはもう人間との対局はしないとのことですが、今後はMaster独自の方法論を生み出して更に強くなって、人間に色々と囲碁に対するヒントを与えて欲しいと思います。

白井喬二の「独楽の話」(エッセイ)

白井喬二の「独楽の話」(エッセイ)を読了。「大衆文藝」の第一巻第二号に掲載されたもの。この「大衆文藝」は白井らの大衆作家が集まって作った二十一日会の機関誌として創刊されたものです。確か2年も続かないで廃刊になったと思います。国枝史郎の作品なども掲載されていて貴重です。
白井は「新撰組」で但馬流や金門流の独楽師同士の争いを書きましたが、その白井による独楽にまつわる蘊蓄です。今は独楽の名人芸を観る機会もほとんどなくなりましたが、まだ白井の時代には大道の名人芸が残っていたのだと思います。それは独楽に限らないことで、何と無くなってしまった伝統の多いことかと嘆かずにはいられません。白井は他の雑誌で、夜中に独りでに回り出す独楽や、いつの間にか逆に回り出す妖怪独楽の話を書いているとのことですが、読んでみたいものです。

白井喬二の「幽閉記」

白井喬二の「幽閉記」を途中まで読了。昭和5年に創刊された「日曜報知」に連載されたもので、おそらく10回くらい連載されたのだと思いますが、残念ながら第1回~6回までと第8回しか入手できませんでした。皮肉にもそういうお話に限って結構名作だったりするのですが…お話はかつては殿様の相談役として権勢を誇った氷駿公がその後殿様の勘気を被って、今は六層の高楼に幽閉されています。二人の武士の間で、そういう幽閉の暮らしが、すぐに死んだ方がいいか、いやそれでも生きていた方がいいかの論争になり、結局氷駿公に直接聞いてみようということになります。一方の武士が夜中に高楼に昇って、氷駿公を呼び出してみると、そこにいたのは氷駿公ではなく、まだ三十にもならぬ若者でした。という具合に始まり、途中の展開も意表を突いて、なかなかの傑作だと思うのですが、最後まで読めないのが返す返すも残念です。

白井喬二の「十両物語」

白井喬二の「十両物語」を読了。昭和26年6月の「別冊 モダン日本」に掲載されたもの。この雑誌は見た限りほとんどカストリ雑誌。お話は、ある侍が質屋にある質草を持ち込むが、中を見ないで十両貸せ、と言います。中身は家伝の刀だそうですが、当主である自分は一生に一回しかこの刀を見てはいけない、と言います。またその家に関係ない者が見ると、刀が蛇になってしまうという言い伝えがある、と言います。それでも質屋は中身も見ないでお金を出せませんので、ともかく箱を開けて中を見ると、たちまち一匹の蛇が這い出て、床下に逃げていきます。侍は質屋が中を検めたから刀が蛇になったと言い張り、ついに十両をせしめます。侍は、そのお金で、ある生娘が吉原に売られようとしているのを、手付けで十両払って助けて、その代わりにうまいことをしようと企みます。しかしその企みは…という話で、中々捻りの利いた面白いお話でした。河出書房の白井喬二戦後作品集と同じ頃の作品ですが、何故これが漏れているのかがわかりません。

白井喬二の「宇都宮釣天井の真相」(エッセイ)

白井喬二のエッセイ、「宇都宮釣天井の真相」を読了。サンデー毎日の昭和28年5月の新緑特別号に掲載されたもの。これも「築城秘話」と同じで、城に関する蘊蓄なら白井喬二、ということで書かれたもののように思います。宇都宮釣天井とは、本多正純がその居城であった宇都宮城に釣天井(天井が二重になっていて下の方のは縄で吊り下げられていて、この縄が切られると天井が落下し、その部屋にいたものを圧死させるという仕掛け)を作って将軍秀忠の暗殺を企てた、ということで、本多正純が流罪とされた事件です。白井喬二はこの事件の真相を推理します。この事件について記録を残している浅野丈助のわずか二百字ばかりの覚書を元に、そこに女性の縁も関係しているのではという記述を見つけ、それによって将軍秀忠の姉であった加納殿(元の宇都宮城主の未亡人)が、古河城に移らされる時に、本多正純から杓子定規な対応をされ、それを恨んで復讐を図ったのでは、と推理していきます。このエッセイの白井の推理はごくまともで、今日真相とされている説そのままです。ちょっと白井を見直しました。

NHK杯戦囲碁 陳嘉鋭9段 対 芝野虎丸3段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が陳嘉鋭9段、白番が芝野虎丸3段の対局です。陳嘉鋭9段は中国出身の棋士で、世界アマ選手権で優勝した後関西棋院でプロになり、本因坊リーグ、名人リーグにも参加したことのある強豪です。一方の芝野虎丸3段は、洪道場出身でまだ17歳ですが、ポスト井山裕太の最有力の一人です。対戦は黒が上辺に展開したのに白が右上隅にかかっていき、黒がそれを一間に高くはさんで、早くも競いあいになりました。その後上辺から延びた白を黒が攻める手を打った所、白は出切りという最強の手で応えました。黒は白の気合に押されたのか、切られた石を捨てました。この時、せっかく捨てたのなら押しも決めるべきだったと思いますが、黒はここで手を抜いて右下隅のかかりに転じました。すかさず白は中央の黒にノゾキを決め、更に上辺から延びた石からコスみ、黒がケイマに飛んだのを強引に切断に行きました。この結果、黒は中央に弱石を2つ抱えることになり、白が打ちやすくなりました。その後黒は中央の白と右下隅の白を分離しましたが、右辺と中央と両方しのがなくてはいけなくなりました。白は右辺に手を付けていき、結果として黒6子を先手で打ち抜くという戦果を上げました。黒は右辺の半分がようやく右上隅に連絡しただけで、ここで白が地合も優勢になりました。白はその後も緩まず、下辺を攻め、また先手で左辺に回り取り残された黒を攻めました。この攻防で白は地を稼ぎ、左下隅も大きくまとまって勝勢になりました。最後は中央の黒の眼を取って活きをなくし、ここで黒の投了となりました。ともかく芝野3段の強烈な攻めと手所での正確な読みが光った一局でした。

白井喬二の「築城秘話」(エッセイ)

白井喬二のエッセイ、「築城秘話」を読了。中央公論の昭和7年10月号に掲載されたもの。「富士に立つ影」で、築城師同士の争いを描いたので、人々は白井は築城術にかけては専門家だと思って、秘話に類する話を聞きたがり、それに応えて書いたものと思われます。ただ、内容は白井らしく怪しげな文献にもよっていて、かなり眉唾物です。少しうなずけるのは、全国の城は全部設計が違っていて二つとして同じものはない、というのと、東京(江戸)は、「国堅固」の城ではなく、もし某国と戦いになって飛行機戦になるなら、帝都は甲州に移した方がいい、などの論を紹介している所です。築城の学はその当時でも、陸軍大学や士官学校での正式な科目となっていたそうです。

白井喬二の「江戸市民の夢」

白井喬二の「江戸市民の夢」を読了。文藝倶楽部で1928年2月から12月まで連載された作品。老大工の金剛寺の厳八というのが主人公です。この厳八が仕事で江戸に向かう途中で、ある城主の調練所に、まさに銃殺されそうになって調練所から逃げだそうとしている武士を見つけ、大工の腕で窓の鉄棒を切ってその武士を助け出します。で、その武士が活躍するかというと、全然大したことなくて、活躍するのは厳八の方です。大工としての腕はきわめて確かな上に、交渉事でも抜かりはなく、ある悪旗本が偽の工事を発注して、手付金の1万両を払うのに、贋金で払おうとしたのを、その上を行ってまんまと本物の1万両を持っていってしまいます。その金を取り返そうと、旗本の手の者が追ってきた時には、川へ飛び込んで30分も潜って逃げて無事です。この老大工、生涯童貞で、何と大工になる前は三十六回も職業を変え、その中の一つは手品師だったという、何とも理解不能の人物です。そうやって引っ張って、最後はどうなるかと思ったら実に意外な結末でした。ですが、ストーリーとしてはある意味無茶苦茶で出来はあまり良くないと思います。

矢貴書店の「評判 講談の泉」昭和25年3月号

これが、白井喬二の「金色奉行」が連載されていた、「評判 講談の泉」という雑誌です。昭和25年の3月号(第5集)です。白井喬二の他に、山岡荘八の名前も見えますから、決していい加減な雑誌ではなかったのかもしれませんが、別冊大附録が「特ダネ 情痴犯罪秘帖」ですから、内容は推して知るべし。1ページめくると、女性が裸でスポーツに興じているイラスト。どう見てもカストリ雑誌にしか見えません。
と思って調べてみたら、この雑誌を出していた矢貴書店という出版社は、後に桃源社を創業した、矢貴東司が作った書店だということがわかりました。桃源社は国枝史郎の「神州纐纈城」を初めて完全な単行本にして出してその真価を知らしめた出版社ですし、白井喬二の本も出しています。

昭和26年の「別冊 モダン日本」

白井喬二の「十両物語」という作品が載っている、昭和26年の「別冊 モダン日本」というのを古書店から買いましたが、確かに巻頭が白井喬二なのですが、グラビアに安っぽいヌードが載っていて、これはいわゆるカストリ雑誌なのでは、と思います。もう一冊、昭和24年の「評判 講談の泉」というのも買い、こちらは白井の「金色奉行」が連載されていたのですが、これもカストリ雑誌ぽいです。白井喬二ほどの作家がカストリ雑誌に書いていたとは…ちょっとショックです。
「モダン日本」自体は戦前からあって、決してカストリ雑誌ではなかったようです。しかしそうした雑誌ですら戦後はエロ路線に走っていたという証拠ですね。
Wikipediaの「カストリ雑誌」の項には、カストリ雑誌の例としてこの「別冊モダン日本」が挙げられています。この「別冊モダン日本」を編集していたのは吉行淳之介だということです。びっくり。