紀田順一郎さんの「蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」を読了。
予想通り、涙無しには読めない本でした。三万冊の蔵書を、諸般の事情でどうしても処分せざるを得なくなり、約600冊を残してすべてを古書店に処分してしまった辛さがひしひしと伝わってきます。
また、おそらくこれが紀田さんの最後の著作になるのではないか、という感じを強く受けました。巻末に紀田さんの詳細な年譜が載っていますが、今までの著作にはこんなものはありませんでした。また膨大なレファレンス文献を失った今、紀田さんがかつてのような著作を書くことを続けることはもう不可能なように思います。その年譜で紀田さんが大衆文学にも深く関わっていたことを知りました。また、J社との関わりについてもこの年譜にかなり載っているので、J社の方は読まれることをお勧めします。
今こそ紀田さんにお話を伺いたいことがたくさんあるのですが、残念ながら紀田さんのメールアドレスは変わってしまっており、現在連絡が取れなくなっています。
私個人で言えば、現在収集している白井喬二の作品を、いつかは公共機関に寄贈しようかと思っていたのですが、今はそれが非常に困難(受け付けてもらえない可能性が高い)なことがよく分かりました。後の書籍は私は引っ越しする度に処分しているので、それほどの数にはなっていません。それよりどちらかと言うと、クラシック音楽のCDの方が問題。私が死んだら大学の古巣のサークルに寄贈しようかと思っていましたが、たぶんそこの部室にはとても収録できないと思います。
後は、日本では公共図書館がイマイチ役に立たないので、個人が自分で蔵書するしかない、というのもよく分かります。先日、白井喬二の「黒衣宰相 天海僧正」の残りを読むために、福井県立図書館から雑誌「大法輪」を取り寄せましたが、その内のわずか数冊が国会図書館他の都内の図書館にもあるという理由で、図書館員からねちねち文句を言われました。日本の図書館には未だに「公共サービス」という視点が欠けています。この日本の図書館のレベルの低さを教えてくれたのも紀田さんでした。