趙治勲名誉名人の「囲碁と生きる」を読了。読売新聞で28回ほど連載されたもの。それに小林光一名誉棋聖との4回の対談がついています。この二人の戦いで誰もが思い出すのが、四度にわたった本因坊戦での死闘で、小林光一名誉棋聖は実にこの碁に勝てば本因坊奪取というのが7回もあり、そのことごとくに敗れます。対談を読むと、当時棋聖と名人を持っていて、そのタイトル戦でかなり消耗し、本因坊戦まで頑張りきれなかったということのようです。趙治勲名誉名人というと、私が大学生の時本格的に囲碁を覚えたばかりの頃が全盛期の始まりという時期で、趙名誉名人の碁は本当によく並べた記憶があります。あの頃の趙名誉名人の勝負にかける執念は本当にすごいものがありました。また小林名誉棋聖の棋風がある意味固まっていてそれほど色々な打ち方を試すということがないのに、趙名誉名人はそれに比べて柔軟で色んな打ち方を試していたと思います。現在趙名誉名人はNHK杯に出ていたり十分現役ですが、小林名誉棋聖がそれに比べるとやや冴えないのは、その辺りの柔軟性の差が今になって出てきたのかな、と思います。そういえば先日囲碁フォーカスで趙名誉名人の抱腹絶倒のエピソードが紹介されていました。それはNHK杯戦で自分のお茶を全部飲んでしまうと、何と何の断りもなく読み上げ係や記録係のお茶に手を伸ばしてそれを飲んでしまう、というものでした。実に趙名誉名人らしいです。全てが天衣無縫という感じです。
趙治勲名誉名人の「囲碁と生きる」
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