古今亭志ん朝の「柳田格之進、干物箱」

jpeg000 97落語、今度は志ん朝の「柳田格之進、干物箱」を聴きました。
「柳田格之進」は正直なことこの上ない武士が上司に疎まれ浪人していますが、そのうちに質屋の主人と碁敵になり親しくなります。ある日月見の宴で質屋の家で碁を打ちましたが、その時に50両の金が紛失し、質屋の番頭は柳田が盗ったと決めつけ問いただします。柳田は盗った覚えはありませんが、役所で吟味になると色々都合が悪いこともあり、その50両を渡すことを約束します。柳田は自害して身の潔白を示そうと思っていましたが、娘に止められ、50両は娘が吉原に身を沈めて調達することになります。時が経って、柳田は元の藩に戻り江戸留守居役になることができましたが、娘は苦界に沈んだままです。そうしている内に、質屋では年末の大掃除をしていると、無くなった筈の50両が出てきます。それを聴いた柳田は娘の面目のため、質屋の主人と番頭を斬る、といい質屋に乗り込んできますが…という噺で、人情噺の傑作と思います。
「干物箱」は遊び人の若旦那が、自分が吉原に行くため、知り合いの善公に自分の声色を使わせ親父をだます噺です。身代わりになった善公と親父のやりとりがおかしいです。

筒井康隆の「モナドの領域」

jpeg000 86筒井康隆の「モナドの領域」を読了。作者曰く、「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長篇」ということです。
タイトルの「モナド」はライプニッツのモナドロジーのモナドというより、「プログラムの集合体」といった意味のようです。
出だしは、切り落とされた女性の腕が河原に落ちているというミステリー風に始まりますが、途中からミステリーとはうって変わったある意味哲学的な内容になります。何故哲学的になるのかはネタばらしになるので書きません。
最近たまたまフレドリック・ブラウンの2つの長編、唯我論的な「火星人ゴーホーム」と、多元宇宙を扱った「発狂した宇宙」を続けて読みましたが、筒井康隆のこの作品はこのSFの2大相反テーマを一つにまとめたような内容です。
私個人は、この作品が筒井康隆の最高傑作だとは思いませんが、筒井の哲学的な思弁の集大成であることは認めます。作品としては「聖痕」のようなものの方が好きです。まあでも、「壊れかた指南」の時は本当に壊れてしまったのかと思いましたが、80歳過ぎてこれだけの作品をまだ書けるというエネルギーはすごいと思います。