古今亭志ん朝の「真景累ヶ淵-豊志賀の死」

jpeg000 129今日の落語、志ん朝の「真景累ヶ淵-豊志賀の死」。
三遊亭圓朝の名作怪談というより大河怪談噺で、前半部は旗本深見新左衛門が金貸しの鍼医皆川宗悦を切り殺したことを発端に、両者の子孫が次々と不幸に陥っていく話です。この「豊志賀の死」は三番目のお噺です。全部通して演じられることはほとんどなく、多くの噺家がこの「豊志賀の死」だけを演じていて、志ん朝もそうです。
富本の師匠豊志賀(実は皆川宗悦の長女)は39歳になるまで男嫌いで通していましたが、ふとしたきっかけで年が離れた出入りの煙草屋新吉(実は深見新左衛門の次男)と男女の仲になります。最初はうまくいっていましたが、豊志賀は、次第に新吉と弟子で通ってくるお久との仲を疑うようになります。その嫉妬が昂じたのが体に悪かったのか、目の下にぽつんと出来物が出来て、それが次第に腫れ上がってとうとう二目と見られない顔になってしまいます。新吉はそれでも献身的に看病していましたが、豊志賀は、新吉にお久のことを問いただし、夜中も恐ろしい顔を近づけて新吉を問い詰めます。新吉はついにはうんざりしてしまい、豊志賀の家を飛び出します。そこで偶然お久に出くわし…(以下略)というお噺です。全体に志ん朝の噺はユーモラスであんまり怖い感じはしないですね。

江利川春雄の「英語と日本軍―知られざる外国語教育史」

jpeg000 118「英語と日本軍―知られざる外国語教育史」という本を読みました。第2次世界大戦の時に、アメリカは日本語学校を作って数百人の生徒を集め、集中特訓して日本語をたたき込み、暗号の解読とか捕虜の尋問とか、実戦で最大限に活用しました。この生徒の中から、サイデンステッカーとかドナルド・キーンみたいな優れた日本学者が出てきました。
これに対して日本はどうかというと、陸軍幼年学校は最後までドイツ語、フランス語、ロシア語しか教えませんでした。この陸軍幼年学校のドイツ語組が東条英機の下で閥を作り、ナチスドイツを過大評価し、英米を過小評価するという過ちを犯しました。幼年学校ではなく中学から入ってきた組は英語を学んでいましたが、こうした英語派は重用されることはありませんでした。
陸軍に比べると、海軍は伝統的に英語を外国語の中で一番重視しましたが、これはイギリスが最大の海軍国であったことが大きいです。ただ海軍にせよ、実戦で使える高度な英語力を別に特別な学校を作ってたたき込む、という所までは手が回っていませんでした。
また陸軍にせよ海軍にせよ、中国語や朝鮮語についてはほとんど学校で教えられることがなかったようです。