白井喬二の「富士に立つ影」第六巻、帰来篇読了。物語の舞台は再び富士の裾野愛鷹山麓へと戻ります。佐藤菊太郎と熊木伯典の対決の時に、菊太郎に味方した花火師の竜吉は、伯典の陰謀で捕らえられたままどこかの岩牢の中に終身閉じ込められています。その竜吉が持っている口書調印状が伯典の旧悪を暴くものとして、熊木公太郎と佐藤兵之助とで奪い合いになります。しかし、ここで初めて熊木公太郎が佐藤兵之助を出し抜き、竜吉の捕らえられている岩牢を見つけ、先に口書調印状を手に入れます。兵之助は口書調印状を奪い取ろうと、公太郎に二度斬り合いを仕掛けますが、剣の腕では公太郎に敵わず、手傷を負ってしまいます。
江戸の熊木家では、公太郎の妹のお園が、那須から帰って来ても、佐藤兵之助との逢い引きを続け、とうとう兵之助の子供を身籠もってしまいます。これが両親の伯典と小里にばれ、お園は家を出て兵之助の元に身を寄せます。
一方、公太郎は、那須で知り合った音楽師である錦将晩霞の妹である貢を嫁にすることを決めます。
佐藤兵之助は、身重のお園を連れて江戸を抜け出し、大山までやってきます。兵之助は自らの立身出世のためにはお園とそのお腹の子が邪魔であると考え、お園を切り捨てようとします。
巻末の山室恭子の解説が見事で、中里介山の「大菩薩峠」とこの「富士に立つ影」を比べ、「大菩薩峠」が空間的広がりを主とし、「富士に立つ影」が時間的な広がりを主とする、としています。
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三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~深見新五郎」
落語ではなくて怪談噺、今日も三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~深見新五郎」です。新五郎は新左衛門の子供ですが、親父に愛想を尽かして家を飛び出していました。そのうち心細くなり家に戻ってみたら、屋敷はすっかり荒れ果てていて、親父は乱心を起こして討ち取られ、お家も廃絶となったことを知ります。墓の前で腹を切ろうとしていた所を、丁度通りがかった質屋の下総屋の主人に止められ、訳を聞かれて話し、新五郎は下総屋で働くことになります。新五郎は如才なく働き、人当たりもいいのですっかり気に入られます。その内に、新五郎は下総屋の女中でお園というのがすっかり好きになります。ところが、お園の方はいくら言いよられても、新五郎のことが虫が好かず側に寄られるのも嫌。それもその筈、お園は新左衛門に殺された宗悦の娘でした。そうこうしている内にお園は病気になりましたが、新五郎は一生懸命看病します。その甲斐あってお園は回復しましたが、新五郎は看病したことを恩に着せてお園に迫ります。ですがお園はそれでも相手にしません。その後、蔵の塗り替え工事がありましたが、工事で人が出入りする隙を狙って新五郎はお園に再度言いより、とうとうお園を積んであった藁の上に押し倒します。ところが藁の中には藁を切る押し切りという包丁が入れてあって、お園はその包丁に身を切られて命を落とします。新五郎はこうなっては、とドサクサに紛れ、店から100両という金を盗んで逐電する…といった噺です。
白井喬二の「富士に立つ影」[5](神曲篇)
白井喬二の「富士に立つ影」第五巻神曲篇を読了。日光霊城審議で勝利した佐藤兵之助は、早速築城に取りかかりますが、半年ほど根を詰めて働いたのが体に来て、神経痛を患います。その療養に、那須の温泉宿に逗留していたところ、熊木伯典の娘お園が何故か兵之助を訪ねて来ます。その用件は、熊木の家にある牡丹群鳥の壺(昔佐藤菊太郎がその壺の偽物を誤って割ってしまった)を佐藤家に売り、その代償として、日光で囚われている上田三平を解放してもらうことでした。兵之助は断りますが、何度も話を重ねている内に、二人はお互いに惹かれ合うようになり、ついには男女の仲になってしまいます。
那須の温泉宿にはお園の後を追って伯典もやって来ます。そうこうしている内に、那須で跳梁していた山賊を討つことになり、その指揮を兵之助と伯典が執り行うことになります。山賊の山狩りはうまく行きましたが、そのドサクサで兵之助と伯典は斬り合うことになり、伯典は足を滑らせて谷に落ち、重傷を負います。それにつけこんだ兵之助は、伯典の昔の悪を白状させて念書を取ってしまいます。
実は熊木公太郎も前からこの那須の地に来ていて、樵や川漁師の真似ごとをして暮らしていたのですが、山賊とも顔なじみになっており、山狩りにあった山賊に頼まれて、それとは知らず兵之助に立ち向かうことになり、兵之助の刀を曲げてしまいます。
兵之助はお園との関係が深くなり、病気は治ったにも関わらず日光に戻らず那須にぐずぐずしています。そこに日光から兵之助が戻ってこないのをいぶかって調査のためにある侍がやって来ます。兵之助はふとしたきっかけでこの侍を斬り殺してしまいます。
一方、熊木公太郎は、隣の小屋に住む貢といい中になり、一緒になる約束をします。
といった具合ですが、日光霊城審議で鮮やかに勝った佐藤兵之助が、そのまま栄光に満ちた日を送るのかと思ったら、色々と暗雲が立ちこめ、ついには人殺しを犯してしまいます。一方で破れた熊木公太郎は、清廉潔白に暮らしていきます。
三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~宗悦殺し」
今日の落語というより怪談噺、三遊亭圓生の「真景累ヶ淵-宗悦殺し」です。長大な怪談噺、「真景累ヶ淵」の最初の噺です。旗本の深見新左衛門が、借金の催促に来た按摩の皆川宗悦を、酒に酔って怒りを抑えられず、誤って斬り殺してしまいます。この死体をつづらに入れて、広場に捨てておいたのを、欲の深い上方者二人が自分の家のものだと嘘をいって持ち帰ります。すっかり得をしたと思ったこの上方者二人は酒をくらって寝てしまいますが、その間に泥棒が入り、つづらを開けて、中が宗悦の死体だということがわかってしまいます。一方で、新左衛門はある夜按摩を頼んで肩をもませていたら、その按摩が宗悦に変わります。びっくりして刀を抜いて斬りかかりますが、誤って自分の女房を斬ってしまいます。乱心した新左衛門は隣家にも押し入り、狼藉者として結局討ち殺されます。
この「宗悦殺し」以降は、新左衛門の子孫と宗悦の子孫が不思議な運命でからみながら、それぞれ不幸になっていく噺です。
正直怖いというより陰惨さ100%のお噺で、聴く楽しみがないのですが、乗りかかった船なので、圓生の噺で、続けて「深見新五郎」「豊志賀の死」「お久殺し」までを聴く予定です。圓生の録音では、さらにこの後、「お累の婚礼」「勘蔵の死」「お累の自害」「聖天山」までが出ています。
白井喬二の「富士に立つ影」[4](新闘篇)
「富士に立つ影」第四巻、新闘篇読了。
熊木伯典の一子公太郎と、佐藤菊太郎の一子兵之助は、日光霊城審議で、かつて伯典と菊太郎がぶつかったのと同じように、対決します。兵之助の親の菊太郎がただ真っ正直で策を巡らすという事ができずに伯典に負けたのに対し、その子の兵之助は抜け目なく、才気煥発で一分の隙もありません。それに対して熊木伯典の子の公太郎は、大らかですが、伯典のように策を巡らすことができず、兵之助との問答では、相手の策を褒めてしまったり、築城において農民や樵のことを思いやるべきだなどとやって、兵之助に突っ込まれてしまいます。
そういう訳で直接対決は賛四流佐藤兵之助の圧勝でしたが、公太郎についてきた伯典は裏から手を回し、賛四流をいわれなき罪に陥れようとします。それが成功し、一旦は赤針流の熊木公太郎の勝利に決まりかけましたが、その時、生命を賭けた証人が登場し…
というお噺です。公太郎につきまとって来た影法師の正体も明らかになります。
古今亭志ん生の「お直し、庚申待ち」
今日の落語、志ん生の「お直し、庚申待ち」。昨日志ん朝の「お直し」を聴いたので、本家のが聴いてみたくて買いました。「お直し」が昭和38年、「庚申待ち」が昭和40年で、どちらも志ん生の病後です。但し、ググって見ると、志ん生のお直しについては、この病後の昭和38年のがベストだと言っている人もいました。「庚申待ち」はTVの録音で、音が良くありません。
「お直し」はさすがに本家で、語りようによっては陰惨な噺になりかねない噺ですが、志ん生の語りでは暗さはまったくありません。基本的に志ん朝のは志ん生のをコピーしていますが、細部はそれなりに違いますね。
「庚申待ち」は、ある旅籠屋で、庚申の夜に町の人が集まって色んな話をして過ごす様子を描いた話です。その中に、「女ムジナ汁を食って玉の輿に乗る」というのが出てきて、何の洒落だかわからないので調べてみたら、「女氏無くして玉の輿に乗る(おんな、うじなくしてたまのこしにのる)」の洒落でした。
白井喬二の「富士に立つ影」[3](主人公篇)
白井喬二の「富士に立つ影」第三巻主人公篇を読了。この巻からいよいよ全体の物語の主人公である、熊木公太郎(きみたろう)が登場します。親父である熊木伯典と違って、天真爛漫で邪気の無い、善人である意味「聖なる愚者」的な人物として描かれています。この公太郎には、親父である伯典への恨みからなのか、影法師と呼ばれる謎の人物がつきまとっており、公太郎が何かを習っていよいよ免許を得ようとする段階になると、決まってこの影法師の邪魔が入り、免許を得ることができません。公太郎は、軍学者頼母木介堂に入門しようとしますが、その入門の儀式でまたしても影法師の邪魔を受け、入門することができません。そうしている内に、公太郎は一緒に旅していた猿回しの助一(実は富士の裾野の村で佐藤菊太郎に味方した牛曳きの息子)から、熊木伯典の昔の悪について聞きますが、公太郎はそれを信じることができません。実家に戻った公太郎の元へ、鼠小僧次郎吉が泥棒に入りますが、公太郎はこれを逃がしてしまい、公太郎の評判はさらに悪くなります。そうこうしている内に、伯典は幕府が日光で新しい城を築く話を聞いてきて、公太郎に築城学を仕込んで、今度こそ名を成させようとします。
古今亭志ん朝の「お直し」
今日の落語は志ん朝の「お直し」です。親父の志ん生が得意だった噺です。(というか志ん生と志ん朝の親子以外はほとんど演じる人がいません。)いわゆる廓噺、それも最下層の廓である「けころ」(蹴転がし、の略)の噺です。そういう噺であるにも関わらず志ん生は平気で戦争中でも高座にかけていたそうです。志ん生はこの落語の口演で、昭和31年に芸術祭賞を受賞しています。
お噺は、吉原の女郎と牛太郎が惚れ合った仲になりますが、店の女郎と牛太郎が仲良くなるのはご法度です。でも店の主人は話の分かる人で、二人を夫婦にしてくれそのまま雇ってくれました。二人で一生懸命働いたので、暮らし向きは楽になりましたが、そうすると亭主が女遊びを始め、ついでに博打まで始めて店に出なくなり、借金も重ねます。女房の方も亭主が休むので店に出ずらくなり、二人して店を辞めることになります。そうなるとお金を得る手段がなく、亭主は女房を最低限の女郎である「けころ」にして金を稼ごうとする…というものです。ちょっと間違えると暗い噺になりますが、志ん朝の噺ぶりはとても明るくてユーモラスです。
白井喬二の「富士に立つ影」[2](江戸篇)
白井喬二の「富士に立つ影」、第二巻読了。
舞台は一転して富士の裾野の村から江戸に変わります。
佐藤菊太郎を慕うお染は、第一巻の最後で、熊木伯典の出生の秘密にまつわる書き付けを盗み出し、それを別の内容に書き換えたものにすり替え、伯典に戻します。そして伯典の側に住み、伯典が偽の書き付けに翻弄されて不幸に陥っていく様を眺めます。
一方で裾野村の庄屋の娘で、伯典によって危うく人柱にされかかったのをお染に救われたお雪は今は江戸に出て、芸者となって名前を小里と変え、お染に協力します。
それが何故か、まだ経緯はよくわかりませんが、小里は伯典の女房になり、妊娠します。生まれる子は第三巻以降に出てくる熊木公太郎です。二巻までは熊木は悪者ですが、公太郎は純真無垢な自然児で、ここで善役と悪役がひっくり返ります。
NHK杯戦囲碁 依田紀基九段 対 三村智保九段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒が依田紀基九段、白が三村智保九段の対戦です。依田九段は、数々のタイトルを取り、NHK杯戦も優勝5回(内3年連続1回)という強豪です。三村九段はタイトルこそ取っていませんが、各種リーグ戦に長く在籍した強豪です。またどちらも故藤沢秀行名誉棋聖の薫陶を受けています。(三村九段は藤沢門下です。)
対局は黒の依田九段が仕掛けていき、白の石にくっついていた黒石を担ぎ出しました。これに対し三村九段は最強手で応じましたが、戦いの結果は黒が白石4石を取り込み優位にたちました。その代わり上辺が白の勢力圏になり、黒2石が取り残されてしまいました。依田九段はこの取り残された黒をあっさり諦めてしまい、白に囲わせてその代わりに中央に厚みを築きました。それで左辺に取り残された白の一団を攻めたのですが、白から下辺についての勝負手を打たれ、ここで攻めを継続する手を打てば良かったのですが、守りの手を打って後退してしまいました。この辺り、依田九段は形勢を楽観していたようです。その後のヨセでも白が一杯に打ち回し、終わってみれば白の2目半勝ちでした。