原子力潜水艦シービュー号の”Fires of Death”

原子力潜水艦シービュー号の”Fires of Death”を観ました。この話から第4シーズンです。第4シーズンになって、荒唐無稽さは更にパワーアップし、今回は何と中世からずっと500年も生きている錬金術師の話です。シービュー号がある火山学者と、爆発を繰り返している火山に向かいます。その火山が本格的な大爆発を起こすと、南半球全体に大被害が及びます。しかしその火山学者は爆発を止めようとしていたのではなく、実は中世から生き延びている錬金術師で、非金属を金に変え、また自分の生命を永遠に出来るエリクシールという石を、火山の爆発によって火山から発生させようとします。その錬金術師は怪しげな装置で、人を「黄金人間」に変えてしまっており、その手下の黄金人間が錬金術師の手助けをします。最初の黄金人間はしかし、火山の中で頭を撃たれて動けなくなりますが、錬金術師は今度は副長のモートンを黄金人間に変えて自由に操ります。(クレーン艦長は今回は何故か頭を強く打って気絶した、ということでストーリーに絡みません。)
この話は、荒唐無稽ながら、火山のセットは非常に良く出来ていて、70年代になってパニック映画の巨匠となるアーウィン・アレンの片鱗が出ていて、それなりに楽しめます。結局ネルソン提督が火山の中に水爆をセットし、その爆発のパワーで火山の噴火を止めます。

“An oyster of a man”の出典

「新々英文解釈研究」の最初の方に出てくる、”He is an oyster of a man.”の出典と思われるものを突き止めました。(OEDでのoysterやclamで「寡黙な人、非社交的な人」という意味の用例がマーク・トウェインが多かったので、最初マーク・トウェインの何かの作品かと思って、マーク・トウェイン作品のテキストが検索出来るページで調べましたが見つかりませんでした。)John Dunlopというスコットランドの詩人(1755 ー 1820)の書いた歌詞の中に”an oyster of a man”が出てきます。しかし、これは1812年の「ジョージ・マッカルがグラスゴーの『牡蠣クラブ』から引退するにあたって」という歌であり、かなり特殊な文脈で使われていることが確認出来ます。しかもおそらく、ジョージ・マッカルという人は何らかの理由で、「牡蠣クラブ」から引退(または退職)するのであり、そこで「牡蠣のような人」というのは「牡蠣クラブを象徴するような人(または常連客、あるいは従業員)」という意味でほとんどジョーク的に使っていると考えられ、「寡黙な人」という意味ではないように思います。歌詞の中に「白鳥のように自分自身のレクイエムを歌う」とありますから、ますます無口であるという解釈はおかしいです。それに「牡蠣クラブ」はおそらく美味しい牡蠣を食べながら社交を楽しむ人の会かあるいはオイスター・バーの名前ではないかと推察されます(現在でも同名のオイスター・バーが各地にあります)ので、まったくもって「寡黙な人」はおかしいと思います。ちなみに、歌詞の中の”Tiny Lochrians ! huge Pandores !”はどちらも牡蠣の品種だと思います。(前者はOEDに載っていませんが多分「Ryan湖(Loch Ryan、塩水湖)の牡蠣」ということだと思います。18世紀の始めから牡蠣の養殖場で有名のようです。後者は”A kind of large oyster found in the River Forth, esp. near Prestonpans.”とあります。)ジョージ・マッカルは、そういう色んな牡蠣に愛される人間だけど牡蠣みたいな人、って言っているんでしょうね。調べてみたらスコットランドのグラスゴーは今でも牡蠣で有名で色んなオイスター・バーやレストランがあり、そういう町で「牡蠣のような人」というのがネガティブな意味では決してないと思います。

John Dunlop (writer)
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Dunlop_(writer)

“Dunlop of that ilk : memorabilia of the families of Dunlop … ; with the whole of the Songs ; and a large selection from the poems of John Dunlop”

ON GEORGE M’CALL RETIRING FROM THE “OYSTER
CLUB” IN GLASGOW (1812).

[His letter of demission ended with four verses wretched poetical lines.]

The Oyster Club, in sable clad,

Laments for George M’Call,
Who, swan-like, his own requiem sings.

Weep ! Weep ! ! ye oysters all.
Tiny Lochrians ! huge Pandores !

Forget him, if you can ;
He was, creation must confess,

An oyster of a man ! !

拙試訳
牡蠣クラブ、喪服を着て
ジョージ・マッカル氏を悼む
氏は、白鳥のように、自分自身のレクイエムを歌う
ああ悲しい、悲しい、牡蠣のみんなよ
小さなリャン湖の牡蠣、大きなパンドレス牡蠣よ
もし可能なら彼を忘れよう
氏は、創造主は告白しなければならないが、
まさに人間牡蠣だった。

NHK杯戦囲碁 瀬戸大樹8段 対 林漢傑8段


本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が瀬戸大樹8段、白番が林漢傑8段の対戦です。布石は4隅で定石(但し今風)が進行しましたが、黒が左下隅でダイレクトに三々に入った結果、左辺は白の大きな模様となりました。黒は左辺に侵入せず、上辺から押していって左辺を囲わせ、その代わり右上隅に上辺から掛かりっぱなしになっている白2子を孤立させこれを攻める作戦に出ました。白はそれを承知で左辺をぎりぎりまで受け続けました。いよいよ取られかねないというタイミングで白は右上隅を動き出し、黒の断点を覗きました。ここでの折衝で白は中央の黒の切断や右上隅の黒への圧力などを上手く使い、結局右辺で一手寄せ劫に持ち込みました。この劫が黒が右上隅を活きにいった関係で白が一手ダメを詰めることが出来、本劫になりました。白は周辺に劫立てが多く楽な劫争いで、結局白は劫に勝ち黒6子を取ってしのぐという、白から見て上々のシノギとなりました。黒は代償で左辺の白模様を侵略しましたが、ある意味地だけの問題で、形勢は白のリードでした。その後下辺でまた劫争いが始まりましたが、白は左辺の地を減らされた代償に左下隅で地を稼ぎ、白のリードは変わりませんでした。最後ヨセで若干白のミスがあったので差が縮まりましたが、結局白の2目半勝ちに終わりました。

Festivals (Senteisai in Shimonoseki city)

The following essay is what I wrote as an assignment for a writing course at an English school AEON:

Topic: Festivals
Style: Casual

I would like to introduce a famous festival held during the so-called golden week in Shimonoseki city, my birthplace. The name of the festival is Senteisai (a festival for the passed emperor) held from May 2 to May 4. The purpose of the festival is to pacify the spirit of the emperor Antoku who died young in 1185.
In late 12th century Japan, two dominant samurai families, Genji and Heike fought each other trying to get the governance of Japan. The battle of Dannoura was the last one where Genji defeated Heike completely on the Kanmon channel. It was a naval battle where many ships of the both sides fought on a very narrow channel called Kanmon channel between Honshu and Kyushu. In the first stage of the battle, Heike had superiority, but because of the change of tide, Genji finally destroyed most ships of Heike. The emperor Antoku, who was a grandson of Kiyomori Taira of the Heikes and was just 6 years old at the battle, was getting on a ship with some female retainers. Most remaining samurai and retainers drowned themselves. The young emperor asked to a female retainer where they would go. She replied that they would go to the paradise and there was another metropolis at the bottom of the sea. Then, she brought him into the sea.
Some menials were drawn up from the sea and survived. Many of them were forced to do prostitution to make a living. Later they started to hold a festival to comfort the spirit of the late emperor. That was the start of Senteisai. The most spectacle attraction on the festival is a parade of beautifully attired geisha girls called “joro dochu”. (Joro is another name of geisha in Japanese.)
It is alleged and also believed that it surely rains on at least one day among the three. We call it the tears of Heike people.
Lafcadio Hearn, aka Yakumo Koizumi in Japan, wrote a story of Miminashi Hoichi (Hoichi the earless). Hoichi was blind and was a story teller of the battels between Genji and Heike, accompanied by the biwa, a Japanese lute. He was favored by some ghosts of Heike. Whenever he told the story to them, all the ghosts cried harshly at the scene of the death of the young emperor. A famous priest tried to save his life and wrote holy scripts of Buddhism on all parts of his body. But because the priest failed to write them on Hoichi’s ears, his ears were found and taken by the ghosts. He survived, but later he was called Miminashi Hoichi, Hoichi the earless.

「新々英文解釈研究」の奇妙で時代がかった英語

「新々英文解釈研究」のおかしな所は、ごく普通の表現を十分マスターしていない人に、いきなりかなり奇妙な、レトリックで言えば「文飾」(figures)的な表現を教えることです。例えて言うならば、直球もまともに投げられない初心者の選手にいきなりフォークボールやナックルのような変化球を教えようとする野球のコーチに似ています。更に別の面では日本語を教えるのに時代劇の日本語で教えようとするのにもちょっと似ている所があります。

(5-b) He is the incarnation of avarice.
ともかく、incarnationが大仰で時代がかっています。incarnationとは例えば神の子が人の肉体を得てこの世に現れた、とかそういうことです。reincarnationは輪廻で生まれ変わること。
He is truly a greedy man. とかで十分だと思います。

(17-a) I do not love him the less for his faults.(彼には欠点があるがそれでも好きだ。)
多分口頭で言ったら多くの人に意味が通じないでしょう。
I love him none the less for his faults.の方が普通と思います。

(22-a) I am only too delighted to accept your kind invitation.(大喜びでご招待に応じます。)
実際の場面でこういう表現を使うと、それはほとんどジョークとしか受け入れられないと思います。敢えて日本語に訳すのであれば、「お招きに預かり恐懼感激に御座候。」といった感じでしょうか。
I
(24-b) We have two dogs, a white one, and a black one; the one is larger than the other.
このthe oneが前者で、the other が後者という説明になっています。ですがこれを口頭で言われたら、ほとんどの人にどちらがどちらか分からないでしょう。こんなものを覚える暇があったら、the former, the latter という「普通の」表現をまず覚えるべきです。

(65-a) I have a liking for that man.
これについては、かなり口語的な表現に聞こえます。
以前「謎の円盤UFO」で”I’ve no liking for you blacks.”という強烈な人種差別発言が出てきました。

この参考書の改訂者のコメントに「英作文にも役に立つ」とありましたが、とんでもないと思います。(敢えて言えば、確かに昔の大学受験の奇妙な英作文には有用だったかもしれませんが。)
通じない英語をせっせと教えている本にしか見えません。
私は、この本の初版とほぼ同じ時期に出版された、芳賀矢一・杉谷代水合編「書翰文講話及び文範」という、手紙の文例集を持っています。この本は昔の候文の文例が沢山載っている貴重な書物ですが、しかしながらこの文例集に載っているものは現代の手紙で使うことはほぼ100%無理です。日本語ですらそうなのに、英語でこの本が今でも使えると思っている人がいることは信じられないです。

原子力潜水艦シービュー号の第3シーズンのまとめ

原子力潜水艦シービュー号の第3シーズンのまとめです。全26話。
ともかく、第2シーズンまでに比べると、ガクッとストーリー展開の質が落ちるのがこの第3シーズンです。
Wikipediaによると、アーウィン・アレンが「宇宙家族ロビンソン」で内容を子供向けに、宇宙人とか怪物の登場を増やして視聴率を上げることに成功したのに気をよくして、原子力潜水艦シービュー号でも同じことをして、こちらでは失敗したものです。
ともかく、潜水艦の中に登場する必然性のまったくない、狼男だのミイラ男だの人魚だの化石男だのが登場し、そのためにかなりのこじつけ的なお話が作られています。
また、奇妙で非合理的なシーンが連続する理由については、幻覚だったとか、集団催眠術だったとか、ともかく馬鹿馬鹿しくて幻滅します。
さらには、シービュー号の原子力エンジンについては、第2シーズンまでは一度も登場せず、シービュー号って本当に原子力潜水艦?って思ったぐらいですが、この第3シーズンでは最初の方で登場し、以後これでもか、というぐらい頻繁に登場します。しかしその原子力エンジンの描き方も相当変で、クルーが制御棒を何の防護服も無しに「素手で」引き抜いたり、また原子力エンジンがオーバーヒート、それはつまりメルトダウンの筈ですが、爆発を起こしているのに、何故かそれが簡単に修理出来たり、もう無茶苦茶です。
またエイリアンも良く登場しますが、同じ時代の円谷プロの特撮に比べたら、本当に子供だましの特撮で、エイリアンがきわめてチャチです。
後、以前日本で有数の絶縁物の会社に勤めていた私としては、シービュー号がちょっと何かがぶつかったぐらいで盛大に火花が飛んで各所が爆発して火災になるのが信じられません。しかもかなりの盛大な爆発でも、その後簡単に修理出来たりします。
また、シービュー号に侵入した何かが、大体において、Circuitry Room(回路室)に入り、そこの配線を破壊してシービュー号がコントロールを失うというのが良く出てきます。そんな大事な部屋なのに、何故か鍵もかかっておらず、また見張りも一人もいません。更には普通制御盤というのは鍵のかかるキャビネットの中に実装されていますが、シービュー号の配線関係はすべて剥き出しで露出しており、それにダメージを与えるのは極めて簡単です。
良くこの内容で打ち切りにならなかったのが不思議ですが、ともかく第4シーズンが後26話残っています。

Monster from the Inferno 宇宙から来た巨大な脳
Werewolf 狼男
The Day the World Ended 集団催眠術を操る男
Night of Terror 恐竜の島、幻覚
The Terrible Toys エイリアンが操る恐怖のオモチャ
Day of Evil エイリアンがネルソン提督に化けてアメリカの太平洋艦隊を核ミサイルで攻撃
Deadly Waters 深海ダイバーのコワルスキーの兄
Thing from Inner Space 半魚人みたいな海の怪物
The Death Watch サブリミナルメッセージに操られたネルソン提督とクレーン艦長の殺し合い
Deadly Invasion 放射能に弱いエイリアン
The Haunted Submarine 奴隷貿易であくどく稼いでいたネルソン提督の先祖が登場
The Plant Man 新規生物を作ってそれを使って地球を支配しようとする双子の兄
The Lost Bomb シービュー号 対 バルカンの戦い、セシウム爆弾の爆破直前の解体
The Brand of the Beast 今度はネルソン提督が狼男に
The Creature 電気を放つ人工巨大海洋生物
Death from the Past ナチスの生き残りによるICBM攻撃
The Heat Monster 北極からやってきた火のエイリアン
The Fossil Men 化石男
The Mermaid 人魚と半魚人
The Mummy ミイラ男
The Shadowman ケンタウリからやってきた影男
No Escape from Death 潜水艦と衝突して海底に沈んだシービュー号
Doomsday Island ちゃちな赤いエイリアン
The Wax Men 蝋人形によるシービュー号の乗組員入れ替え
Deadly Cloud エイリアンが操る巨大雲
Destroy Seaview! 洗脳されたネルソン提督

中1用の英語の教科書、もう一冊(New Crown)

中学1年生用の英語の教科書、もう一冊、シェアでは3位の”New Crown”も買ってみました。(New Horizon、Sunshine、New Crownの合計でシェアは8割を超えるようです。)こちらもマンガが多いですが、絵柄がいかにも教科書的というか、NHKのEテレのアニメの絵という感じであまり好きになれません。こちらもアメリカやイギリスだけでなく、何故か中国人の生徒やタイ人の生徒などが登場します。要するに英語の授業は単に英語の授業という意味以外に国際化教育という要素も持っているんだと思います。それならもっと移民を受け入れればいい、と思うのは私だけでしょうか。大体日本にある本物のインターナショナルスクールなら、授業自体がおそらく英語で行われているのでこんな初歩的な教科書は使わないと思います。多くの普通の中学校の生徒は、自分達の学校とまるで違う空想の世界のお話を学ばせられるということになります。

ヴェネツィアのぼったくり姉ちゃん

今さらですが、昨年5月のイタリア旅行でヴェネツィアに行った時、このお姉ちゃんにぼられました。何かというと、こういう格好した女性がいたら、カメラ持っていたら普通撮影しますよね?しかし、撮影した後しっかり10ユーロを要求されたのでした!支払いをごねて、影から怖そうなお兄さんが出てきたら嫌なので、金持ち喧嘩せず(?)的に払ってしまいました。イタリアこれに限らず、色んな所でぼったくられましたが、中でもヴェネツィアは観光だけが収入源であり、ぼったくりの比率が高かったように思います。ホテルも狭い割りにはかなり高かったですし。

原子力潜水艦シービュー号の”The Lost Bomb”

原子力潜水艦シービュー号の”The Lost Bomb”を観ました。この回は色々ロジックの穴はあるものの、このシリーズには珍しい潜水艦 対 潜水艦の戦いというだけで多少は評価出来ます。シービュー号は最先端かつ最強の潜水艦と言われているのに、何故か潜水艦相手に戦う話が非常に少ないです。しかしながら、この回の脚本家は、潜水艦同士の戦いの実際の所をまるで分かっていないようです。一例を出すと、シービュー号はバルカンという国籍不明の潜水艦(というか名前ですぐ東欧諸国のどこかだろう分かってしまいます。それに秘かに行動しているのに、名前を船体に表示しているのもとても変)から魚雷攻撃を受けます。クレーン艦長はそれを回避するのに、右とか左に急舵を切るよう指示するだけです。物語の後半でシービュー号から音波信号が出ていることが分かります。つまりバルカン側はシービュー号の位置を完全に把握している訳ですから、どう回避しようと魚雷が当たらない訳はないと思います。さらに不可解なのは、シービュー号はバルカンに完全に後ろを取られている訳で、普通この体制から魚雷を発射してもバルカンに当てることは不可能です。そういえば、シービュー号の魚雷発射管ってどこにあるのか?ポラリス型核ミサイルの発射口は上部甲板にありますが、もしかすると後部についているんでしょうか。
話はセシウム爆弾という一発で地球の半分を吹き飛ばす新型核兵器をアメリカが海底に設置しようとしていましたが、それを積んだ飛行機がバルカンから攻撃を受け、セシウム爆弾は海の中に落ちます。そのショックから爆弾の起爆装置がアクティベートされ(飛行機の爆発のショックで何故爆発しないのかの説明はありません)、爆弾はカウントダウンを始めます。それをネルソン監督が何とかデアクティベートしようとします。このパターンは過去に何回か出てきました。どうでもいいですが、爆発すると地球の半分が吹っ飛ぶということは同時に地球の最後ですから、この爆弾は使うことが出来ない爆弾です。そんなものを海底に据え付けて何をしようとしているのかもまったく不明です。
バルカンに捕らえられたクレーン艦長とコワルスキーが、牢屋から逃げ出して、バルカンの艦内で暴れますが、これも以前一度あったパターンです。
ともかくもこのシリーズ全体に言えることは、脚本家の全般的な知識がきわめてプアーであることです。科学的な考証もほとんどされていないように思います。

“He is an oyster of a man.”


“He is an oyster of a man.”は、山崎貞著の「新々英文解釈研究」という参考書のかなり冒頭の部分に出てくる表現で、その本の訳では、「彼はかき(牡蠣)みたいな(寡黙な)人だ。」となっていました。今は知りませんが、私が高校生の頃は、この本は英語の参考書として必ず買って勉強すべき本の一つという位置付けのもので、実際に買った人も多いと思います。買った人が最後まで読むかというのは別の話ですが、少なくとも買った以上は勉強してみようと思い、最初の方でこの文に遭遇する訳です。著者の山崎貞(やまさき・てい)という人はWebで調べたら1883年生まれ、1930年没の明治生まれのかなり昔の人です。(この本の初版は大正元年、その後大正4年に改訂されて「新」が頭に付き、昭和33年の原著者の没後に更に別の人により改訂され「新々」となっています。「新」は何と105刷まで行っています。)おそらく著者は何かの文学作品等でこの表現にぶつかり、印象的だったので覚えていてここで使ったのでしょうが、問題は”oyster of a man”という表現はネイティブには文字通り「牡蠣のような人」という意味でしかなく、直ちに「寡黙な人」というのには結びつかないことです。先日、Eigoxのレッスンで大学で文化人類学を専攻したかなり頭のいい先生にこの表現の意味が分かるか聞いてみましたが、「何を言っているのか分からない、聞いたことがない。」とのことでした。そして「貝のように寡黙」と言いたいなら、”clam”という単語があり、「二枚貝(ハマグリやアサリなど)」という意味と「寡黙な人」という両方の意味があります。つまり”He is (like) a clam.”と言えば済む話です。(日本でも、昔フランキー堺主演の「私は貝になりたい」というTVドラマがありました。)また句動詞で”clam up”という表現もあり、”He clammed up on my question.”(彼は私の質問に対し黙ってしまった。)のように使います。また、”clam of a man”なら、このページで実際に使われていました。
要するに、”~of a man”は「~のような人」という比喩(直喩)の表現に過ぎず、ここで覚えるべきなのはその”~of a man”の方で、oysterはどうでもいいということです。”He is a beast of a man.”だったら、誰でも「彼は野獣のような人だ。」ですぐに通じます。
しかし、ともかくもoysterの印象は強烈なので、多くの学生が英語ではこういう風に言うんだとこの文を暗記し、社会人になった時にネイティブ相手に使って、まったく理解してもらえない、という事態になります。
ちなみに、Yahoo! ANSWERSというサイトで、ネイティブに「この表現を使うことがあるか」と聞いた人がいますが、回答は「使ったことがない」「意味が分からない」でした。

一応OEDには、確かにoysterで「無口な人、他人とあまりコミュニケーションをしない人」という意味が載っています。しかし、用例に”an oyster of a man”はありませんし、一番新しい用例で1930年のものです。その中のトップはマーク・トウェインのものです。実はclamの「寡黙な人」という用例にもマーク・トウェインが出てきます。そして「新々英文解釈」でも練習問題などにマーク・トウェインが登場します。とすると、”an oyster of a man”はもしかするとマーク・トウェインの何かの作品に登場していたのではないかと思います。

4. A reserved or uncommunicative person. Cf. clam n.2 2.
a1910 ‘Mark Twain’ Let. in C. Clemens My Father, Mark Twain (1931) iv. 47 The Tribune review of Roughing It was written by the profound old stick who has done all the Tribune reviews for the last 90 years. The idea of setting such an oyster as that to prating about Humor!
1925 M. Wiltshire Thursday’s Child xi. 221 I wouldn’t mind betting Jane’s worrying herself sick over it; and he—goodness knows what he’s doing or feeling. I never saw such an oyster.
1930 J. B. Priestley Angel Pavement vi. 305 I never knew anybody so close, you old oyster you!

その後、出典らしきものを突き止めました。ここをご覧下さい。