今日の落語、志ん朝の「高田馬場、甲府い」。
「高田馬場」は、蝦蟇の油売りに身をやつして仇を探している姉と弟が浅草の観音様の参道でついに仇を見つける。仇の老人は主人の御用を果たしたいので、果たし合いは明日にしてくれと言う。それで、次の日に高田馬場で行うことになったが…というお噺。志ん朝が「蝦蟇の油売り」の口上を述べるのですが、これが見事です。
「甲府い」は、甲府から江戸へ出てきて掏摸に有り金をすべて擦られた若者が、豆腐屋の店先でおからを盗んで食べて、店のものになぐられているところに主人が出てきて、訳を聞いて、その若者を雇って…というお噺です。悪い人が一人も出てこないお噺です。
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小林信彦の「怪物がめざめる夜」
小林信彦の「怪物がめざめる夜」を再読了。1993年の書き下ろし作品です。小林信彦の第二期を飾る傑作と思います。Wikipediaの小林信彦の項に、「特に1993年の『怪物がめざめる夜』は、主人公である悪役の設定が凡庸であるとの批判があった。」とありますが、この批判は的外れもいいところで、このような誰が言ったかもわからないような批判をそのまま載せるのはどうかと思います。
作品の中で、複数のコラムニストによって一人の守備範囲が異常に広い架空のコラムニストをでっちあげるのは、小林信彦自身が、ヒッチコックマガジンの編集長だった時に既に考えていたことだそうです。しかしながら、当時は原稿が手書きだったため、筆跡でばれてしまうので実行に至らなかったということです。
この作品ではそのでっちあげられた架空のコラムニストが有名になり、実際の人間をその架空のコラムニストに充てざるを得なくなり、あるコメディアンを使うのですが、そのコメディアンがとんでもない怪物に育っていく過程が描かれた、一種のホラー小説になっています。そのコメディアンは毒舌という意味では初期のビートたけし、カリスマ性という意味では尾崎豊を思い起こさせます。
このコメディアンが怪物に育っていくのは、深夜ラジオというメディアを通じてですが、そのコメディアンがファンを扇動して、ファンが暴挙に及ぶ様は、現在ではインターネット上での炎上につながっています。そういう意味では、かなり時代を先取りした作品だと思います。
古今亭志ん朝の「火事息子、厩火事」
日立コール・ファミリエのコンサート
古今亭志ん朝の「おかめ団子、茶金」
落語、今度は志ん朝の「おかめ団子、茶金」です。
「おかめ団子」は親孝行をテーマにしたもので、親孝行な大根売りが老いた母親に柔らかい布団を買ってやりたくて、おかめ団子の店に盗みに入って、そこで店の看板娘が首を吊ろうとしているところに出くわし、それを引き留めて…という噺です。ちょっと噺に無理があるような気もしますが、志ん朝に演じられると素直に聴ける人情噺になります。
「茶金」は上方落語で、茶屋金兵衛は目利きで有名で、金兵衛が品物を見て、一度首をかしげると百両の値打ちがあると言われていました。ある時金兵衛が京都の茶屋で茶を飲んでいて、その時使われた何の変哲もなさそうな古びた茶碗に六度も首をかしげたので、それを見ていた油屋が一儲けしようとたくらむ噺です。金兵衛が首をかしげた理由が面白いです。サゲも面白いです。
小林信彦の「秘密指令オヨヨ」
小林信彦の「秘密指令オヨヨ」を再読了。前作の「合言葉はオヨヨ」と同じく週刊朝日に連載されたもので、海外の観光地を舞台にするのも同じですが、今回はヨーロッパの各地(+カサブランカ)が舞台になっています。前作から登場した香港警察の楊警部補が狂言回しを勤めます。
お話しは、ナチスに協力したとして戦後糾弾されたイタリア人喜劇監督のジャコモが、実はナチスの幹部を映像に残して彼らを糾弾するつもりだったとして、そのシーンが映った行方不明のフィルムを巡る話に、ナチスが隠したヨーロッパの名画を巡って、オデッサ(ナチス支援組織)やオヨヨ組織が争う話がからみます。フレデリック・フォーサイスの「オデッサ・ファイル」が出版される前に書かれていますので、この時点で「オデッサ」に着目したのはさすがと思います。
表紙の絵の藤純子は本筋とは無関係ですが、パリのシネマテークの人間が、ジャコモのフィルムを貸す代わりに、「緋牡丹博徒・お竜参上」を欲しがるというのがあるので、こうなっています。
古今亭志ん朝の「佐々木政談、夢金」
小林信彦の「合言葉はオヨヨ」
小林信彦の「合言葉はオヨヨ」を再読了。大人向けオヨヨ大統領シリーズの3作目です。この「合言葉はオヨヨ」と「秘密指令オヨヨ」は週刊朝日に連載されたもので、どちらも海外の観光地を舞台にしています。「合言葉はオヨヨ」は、香港、マカオ、神戸、東京、釧路、根室と舞台が移っていき、「お宝」が移動していきます。香港、マカオといえば「麻薬」といったイメージがつきまとっていた時代のもので、現在の香港、マカオを知っている私から見るとかなり時代を感じます。
新しいキャラとして香港警察の楊警部補というのが登場します。この人物には明らかにモデルがあって、「袋小路の休日」の「北の青年」に出てくる青年がそうだと思います。何かと毛沢東語録を参照したりする所に共通点があります。
オヨヨ大統領は、この作品ではさらに凶悪性を増し、自らの手で殺人を犯しますし、また犯罪に含まれるトリックのレベルもシリーズ中最高ではないかと思います。
ただ、全体のお話しはジャパンテレビの細井ディレクターが香港のホテルのチェーンロックが中からかけられた自室に女性の死体を発見する所から始まりますが、この密室殺人のトリック自体はかなり陳腐です。
全体的に、日活アクション映画的で、かなりハラハラドキドキは楽しめる作品です。
古今亭志ん朝の「柳田格之進、干物箱」
落語、今度は志ん朝の「柳田格之進、干物箱」を聴きました。
「柳田格之進」は正直なことこの上ない武士が上司に疎まれ浪人していますが、そのうちに質屋の主人と碁敵になり親しくなります。ある日月見の宴で質屋の家で碁を打ちましたが、その時に50両の金が紛失し、質屋の番頭は柳田が盗ったと決めつけ問いただします。柳田は盗った覚えはありませんが、役所で吟味になると色々都合が悪いこともあり、その50両を渡すことを約束します。柳田は自害して身の潔白を示そうと思っていましたが、娘に止められ、50両は娘が吉原に身を沈めて調達することになります。時が経って、柳田は元の藩に戻り江戸留守居役になることができましたが、娘は苦界に沈んだままです。そうしている内に、質屋では年末の大掃除をしていると、無くなった筈の50両が出てきます。それを聴いた柳田は娘の面目のため、質屋の主人と番頭を斬る、といい質屋に乗り込んできますが…という噺で、人情噺の傑作と思います。
「干物箱」は遊び人の若旦那が、自分が吉原に行くため、知り合いの善公に自分の声色を使わせ親父をだます噺です。身代わりになった善公と親父のやりとりがおかしいです。
筒井康隆の「モナドの領域」
筒井康隆の「モナドの領域」を読了。作者曰く、「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長篇」ということです。
タイトルの「モナド」はライプニッツのモナドロジーのモナドというより、「プログラムの集合体」といった意味のようです。
出だしは、切り落とされた女性の腕が河原に落ちているというミステリー風に始まりますが、途中からミステリーとはうって変わったある意味哲学的な内容になります。何故哲学的になるのかはネタばらしになるので書きません。
最近たまたまフレドリック・ブラウンの2つの長編、唯我論的な「火星人ゴーホーム」と、多元宇宙を扱った「発狂した宇宙」を続けて読みましたが、筒井康隆のこの作品はこのSFの2大相反テーマを一つにまとめたような内容です。
私個人は、この作品が筒井康隆の最高傑作だとは思いませんが、筒井の哲学的な思弁の集大成であることは認めます。作品としては「聖痕」のようなものの方が好きです。まあでも、「壊れかた指南」の時は本当に壊れてしまったのかと思いましたが、80歳過ぎてこれだけの作品をまだ書けるというエネルギーはすごいと思います。