杉本苑子の「滝沢馬琴」を読了。ちなみに今は「曲亭馬琴」と呼ばれるようです。安藤広重が今は歌川広重なのと同じです。上巻を読んでいた時は「読んでよかった:30%、読まなければよかった:70%」でした。何故かというと馬琴が年を取り、かつ片目を失明し(最終的には両方失明)、息子が早死にしたりと色々ある中で何とか「八犬伝」を完成させようとあがくのが身につまされたのと、出て来る人物に魅力がない人が多く、かつ不幸になる人が多い(息子は癇癪持ちの上病弱で結局早死に、糟糠の妻は馬琴の著作活動をまったく理解しない愚妻、馬琴の甥と姪は兄弟で契って最後は心中、等々)で、「ああ、これはうつ病に良くない」と思ったからです。しかし最後まで読んで「読んでよかった:80%」に変わりました。というのは馬琴が両目失明後、代筆者を色々と検討するのですが、ろくすっぽ漢字が書けなかったり、勝手に文章を自分で変えてしまったり、漢字について一々講釈を垂れたり、盗みをしたり、でどれもこれもダメ、それで一度は「八犬伝」完成を諦めたのですが、そこに息子の嫁である路が「自分にやらせて欲しい」と言ってきます。この路さんは当時の女性の常として平仮名しか理解して書くことが出来ず、まずは平仮名で書き取ってそれを後から馬琴の指示で漢字交じりにしますが、漢字の知識がほとんどない女性がこれをするという苦労が忍ばれます。(いわば人間IME)それでも路は実に忍耐強く作業を続け、ついには馬琴の目の代わりを立派に勤め、八犬伝も完成するだけでなく、路は和歌を詠んだり馬琴に代わって日記を書いたりということまで出来るようになります。この路は明治時代には孝女の代表として教科書に載ったこともあったようですが、杉本苑子はその路の性格を愚鈍でろくに挨拶も出来ず気も利かず、という風に描いているので余計に後半での対象的な姿が印象に残ります。この小説の中には葛飾北斎やその娘の応為なども登場し、興味深い物語を展開します。私もいつ終わると知れない翻訳作業を延々とやっていますので、その意味でも色々と考えさせられました。ただこの小説に書かれた馬琴の性格は、親友であった渡辺崋山が獄につながれた時、嘆願書に署名するのを自分に累が及ぶのを恐れて断ったり、また自分のことは棚に上げて他人の批判をしたりと、必ずしも魅力的な人間としては描かれていません。馬琴は毎日日記を付けていましたので、これらの性格は必ずしも作家の創作という訳ではないようです。