白井喬二の「富士に立つ影」の読み直し、運命篇を読了。日光の霊城勝負の時に約束された両家の10年目の再度の対決の日がやって来ます。この篇の全体を通じて、佐藤兵之助の嫌な奴ぶり、冷酷ぶりが非常に目立ちます。まずはこの再度の対決で、「(黒船がやって来ているといったこのご時世で)江戸城を改築すべきかどうか」という城師同士の対決にふさわしいお題を与えられ、兵之助ほど弁論の才があれば正々堂々と赤針流側公太郎を言い負かせばいいのに、突然公太郎が異人の家に出入りしている、ということを議論の中に持ち出します。異人サンダーの家に出入りしたのは公太郎ではなく、その義理の兄である錦将晩霞ですが、その目的は政治がらみのものではなく、単に音楽についての研究熱心からであることは読者は誰も知っています。その晩霞の行動をこっそり覗いていて、サンダーにピストルで撃たれそうになったのは兵之助本人です。この兵之助の卑怯な議論は、結局その場に立ち会っていた晩霞が責任を取って自害をすることになり、公太郎は晩霞の仇を取るため刃傷に及び、対決は斬り合いに終わってしまいます。その結果、この勝負に勝てば喜運川家再興も叶う筈だったのがお流れになってしまいます。いわば自業自得です。一方で公太郎の行動は直情径行で刃傷に及んだのはともかく、そこに一切の打算はありません。晩霞の今際の際の言葉の「公太郎を本当の弟のようにかわいく思っていた」が読者の涙を誘います。
兵之助の打算的で冷酷な行動は更に続き、公太郎が100両を盗んだ罪に加え冤罪も付け加えられて死罪=打ち首に決まった助一をあわやの所で刑場に馬で駆けつけ、あらぬことか助一を堂々と連れ去りあまつさえ「熊木公太郎である」と名乗ります。そして佐藤兵之助は調連隊長としてこの公太郎と助一の追捕を命じられたのを、喜運川家再興の大きなチャンスと捉え、公太郎側にどのような言い分があるのかも一切考えようとしません。更には公太郎の親友であった大竹源五郎がお園を探し出し、熊木家の大危機を救うため佐藤兵之助との関係を証言するように求めたのに対し、まだ兵之助を愛していたお園はそれを断ります。お園はその後、その代りもう会わないと約束していた兵之助を訪ね、自分が秘密を守ったことを告げ、その代償として兄である公太郎を追捕するのを止めて欲しいと懇願します。しかしここでも兵之助はお園の行動には感謝しつつも、公私の公が大事、という勝手な理屈で公太郎探しに出かけ、二ヶ月以上もかけて、ようやく筑波山麓に潜んでいた公太郎を発見します。これが二人の最後の対決になり、「熊木、まてッ、手向かいいたすか」「いや、わしは何もいたさぬよ」というセリフを残して、公太郎は兵之助の部下に銃で撃たれ、命を落とします。(この結末は後の方を読まないとすぐには分からないようになっています。)
兵之助もこの時、公太郎の死の代償に自分も大きなダメージを受けますが、それはまた残る篇の話になります。
なお、白井の作品に「金色奉行」というのがあり、その中に龍胆寺主水(りんどうじ・もんど)というのが登場します。この主水が兵之助とほぼ同じようなキャラクターです。そしてこの主水はある女性を川勝三九郎(後の大久保岩見守長安)と争い、見事その女性を勝ち取りますが、それからが転落の人生で最後はかなり哀れな運命に陥ります。白井がこうした秀才で功利的な人間を嫌っていたということが、この二つの作品から良く分かります。
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