博文館の雑誌「新青年」、一冊だけじゃ雰囲気が十分わからないかと思って、同じ昭和2年の9月号も入手しました。この9月号には、谷譲次の「めりけんじゃっぷ 商売往来」シリーズの「じい・ほいず」(Gee Whiz!「おやまあ」ぐらいの意味)が載っています。谷譲次は本名長谷川海太郎で、谷譲次、林不忘、牧逸馬の3つのペンネームを使い分けた多才の人です。林不忘としては有名な「丹下左膳」を生み出した人です。多才が災いしてマスコミの引っ張りだこになり、そのせいで病気(喘息)になり、わずか35歳で命を落とします。長谷川海太郎は実際にアメリカを放浪した経験があり、当時としては非常に新鮮なアメリカ情報だったろうと思います。今読んでも十分面白いです。
その他、この号は「劇と映画號」となっていて、小山内薫の「演劇に関する或考察」などが載っています。探偵小説だけを載せていた訳ではなく、このような多彩な内容で、都会の青年を惹き付けたといいます。