姫野桂の「ルポ 高学歴発達障害」を読了。この「発達障害」も常々疑問を持っているもので、実際にこの本に出てくる実例を知っても、単なる性格のバリエーションとしか思えません。どうして皆が能力のレーダーチャートでどれも5段階評価で3.5以上でなければならない、みたいな考え方をするのでしょうか。私はそういうある意味何の尖った部分の無い人より、他は全て2以下でも、一つだけは5どころか10くらいある、人を評価します。しかし、同意するのは、今はやたらとそういう全外交的な能力要求の敷居があがってそういう人が生きにくくなっているというのは事実でしょう。また企業においてはかつての年功序列の時代は、それなりに従業員同士助け合ってというのがあったのを(私も若い時は先輩社員に色々助けてもらいました)、評価制度のおかげで自分のことしか関心が無く、同じ部署の出来ない人をフォローしてあげようとする奇特な人は激減したと思います。前の会社でそういう風潮を少しでも変えようと、社内で最初に自分の部署からいわゆるメンター制度を始め、それを他の部署にも広げて行きました。その時、「忙しいのにそんなことやってられるか!」という反応を半分予想していたのに、アンケートを取ったら、メンターからもメンティーからも「いい制度だから続けて欲しい」という反応があり驚いたことがあります。
それからこの本に出てくる多くの人が「大学時代は良かった」と回想しているのが目立ちました。前から思っていましたが、大学はある意味社会に適応出来ない人の「収容所」なんですよね。研究者にはむしろ発達障害の人が向いていると思います。