荒川敏彦の「殻の中に住むものは誰か 『鉄の檻』的ヴェーバー像からの解放」

荒川敏彦の「殻の中に住むものは誰か 『鉄の檻』的ヴェーバー像からの解放」を読了。「現代思想」の2007年の11月増刊号の「総特集 マックス・ウェーバー」の中の一篇です。ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の最後に出てくる”ein stahlhartes Gehäuse”は、アメリカの有名な社会学者のタルコット・パーソンズがこの論文を英訳した時に、”iron cage”(鉄の檻)と訳し、この「鉄の檻」という言葉が一人歩きし、ヴェーバーが変質して(初期のプロテスタンティズムの倫理が忘れ去られて)人々を縛り付けるものとなった資本主義をペシミスティックに捉えた、と理解されるようになりました。実際、ミッツマンという人は、ヴェーバーの伝記を出す時にタイトルを「鉄の檻」にしています。また日本の大塚久雄も、この論文の日本語訳を改訳する時に、最初の翻訳者である梶山力が「外枠」と訳していたのを、わざわざ「鉄の檻」に変更しました。明らかにパーソンズの英訳に影響されています。
ところが、このパーソンズの英訳が「誤訳」で、Gehäuse(ゲホイゼ)は、一般的は「ケース」「外装」「貝殻」などの意味であり、「檻」のように中に無理矢理何かを閉じ込めるというニュアンスはなく、むしろ逆に中のものが傷つかないように守る、というニュアンスが正しいのだそうです。つまりヴェーバーはここで確立した資本主義のシステムを、(1)その中に守られて生きていくしかない(2)しかしそこから外に出て行くことは難しい(死んでしまう)という両方のニュアンスを込めている、とのことです。
これはなかなか目から鱗が落ちる感じでした。たった一語の翻訳ですが、それの誤訳でヴェーバーのイメージががらっと変わってしまいますから、怖いと思います。

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