北杜夫の「楡家の人びと」第二部を読了。第一部が稀代のハッタリ屋だけど行動力とアイデアの固まりの楡基一郎を中心としたいわば叙事詩的な物語だったとすると、第二部に入ると今度は叙情詩的な物語に変じていきます。それは、明らかに北杜夫自身がモデルである、楡徹吉の次男の周二に、北杜夫の思い出が投影されていて、人間関係の観察が直接見聞きしたものになって濃くなったからだと思います。楡家は基一郎が亡くなって、徹吉の時代になりますが、世田谷区松原に新病棟を作る苦労が徹吉の上に追い被さり、借金もできてかなり大変になります。しかし、精神病院自体が圧倒的に不足していた時代の追い風を受けて、徐々に楡脳病院は盛り返していきます。斎藤茂吉がモデルである徹吉は、しかしこの小説では文芸に走ることはせず、学芸の世界にのめり込み、原稿用紙で3000枚にも及ぶ精神医学史をまとめます。これは現実の斎藤茂吉が「柿本人麻呂」論をまとめたのが投影されているようです。このようにある意味叙情詩的に始まった第二部ですが、昭和の初めという時代は暢気に過ごすことはできず、時代は戦争へと突入し、徹吉の長男である峻一の友人である城木達紀が空母瑞鶴に軍医として乗り込んで真珠湾に向かいそのドキュメンタリーのようになり、最後は米英との開戦がラジオで告げられ、それを徹吉が周二に伝える所で第二部は終わります。