何と、2日連続で「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の日本語訳についてレビューを書くことになりました。
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マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、昭和13年に梶山力が初めて日本語に訳しました。しかし、彼は病弱(32歳で亡くなっています)で本文を訳すので力尽きてしまって、主に第二章の注釈部が未訳のまま残りました。それを戦後になって、梶山の2年上の同窓だった大塚久雄が未訳部分を訳して、昭和32年に岩波文庫から「大塚・梶山訳」として出版されました。(本当は梶山力訳、大塚久雄補訳とすべきでしたが。)それを更に昭和63年になって大塚久雄が改訳を施し、梶山力の訳した部分も大塚が大幅に見直した、という理由で「大塚久雄新訳」という形で、岩波文庫版が改版されます。これに対し、安藤英治が大塚の行為を良しとせず、梶山力の訳に、梶山が訳していなかった注釈部分を自分で訳して、梶山訳を復活させます。という経緯で、通称「プロ倫」の日本語訳はこれまで2種類あった訳です。それに対し、この中山元氏によるものが2010年に第3の日本語訳として登場します。その特長は訳者の後書きによれば「これまでの日本語訳より読みやすい」ことのようです。実際に、このAmazonの他の方のレビューを見ると「読みやすかった」という声があるので、それについては一定の成功を収めているのだろうと思います。
しかし、今この論文の新しい日本語訳を出すのであれば、
(1)これまでの日本語訳に寄せられている誤訳の指摘を調べ、同じ誤訳を引き摺らないようにする。
(2)この論文にちりばめられている膨大な専門用語について訳者も調べ、読者にはまずなじみがないようなものはできる限り訳注を載せる。
ということを心がけて欲しかったです。
(1)の誤訳という点で言えば、例えばRentenkauf(レンテンカウフ)という概念がありますが、この本のP.108に「年金売買」と訳されています。これは大塚訳、そして梶山訳に追加された安藤訳の誤訳を踏襲しています。この概念については、ウェーバーの「法社会学」にも登場し、世良晃志郎氏が「レンテ売買」と日本語訳し、なおかつ10行に及ぶ詳細な注釈を付けてくれています。(世良訳「法社会学」のP.173)そこの説明を読めば分かりますが、この「レンテ売買」とは、「地代請求権を担保にした金銭貸借」であり、教会の利子を付けた金銭貸借禁止の裏道であったので、ここのウェーバーの議論ではその内容を把握しておくことは重要です。(ちなみにドイツの第一次世界大戦後のハイパーインフレーションを収束するために考案されたレンテンマルクとは、まさに金本位の代わりに「地代請求権」を本位とする{ある意味インチキな}通貨でした。)
また、この論文の最後に出てくる「鉄の檻」も、元々パーソンズが英訳した時にiron cageと訳したことから広まった誤訳であり、それを大塚久雄が採り入れてしまったものです。ここのGehäuseは「檻」ではなく、中にいる者を保護するものでもある「殻」と訳すべきであるとされています。
(2)の訳者注については、なるほど一応訳者注が200ちょっと巻末には付いてはいます。しかし、その中身を見ると、大半は人名についての注で、それもルターやカルヴァンについてのものまで含まれています。そういうのを入れるなとは言いませんが、「注釈が必要な事項に注釈が無く、不要なものに注釈がある」というよくあることになっています。この本が出た時にはまだでしたが、現時点(2018年3月)ではドイツのジーベック社から全集の中の一巻として、この論文(ドイツ語)が改めて出されています。そこにシュルフター教授によるかなりの注釈がついている筈で、そうしたものも改訂する機会があれば取り入れて欲しいと思います。
また、気になるのは、ドイツ語や英語の部分をカタカナで表記している部分が見受けられます。これは一体何の意味があるのでしょうか?どうせ原文を読んでも分からない人にとって、発音が分かっても何の意味もないと思います。また、英単語やドイツ語単語を日本語にして、フリガナで言語の読みを振っているものがあります。たとえばP.141ではコリントI 7.20の英訳で、stateを「地位」としてステートと読みを振っています。しかしここでstateと訳される場合は明らかに「状態」の意味(パウロは召された時、結婚していなければ独身のままで、奴隷でいたなら奴隷のままで、割礼を受けていなければそのままで、留まれと勧告しています。つまり全て「状態」を変えるな、と言っています。)であり、現在の英訳聖書もほとんどconditionまたはstateで「状態」の意味に訳しています。こういう場合には勝手に日本語に直さずにそのまま原語を載せて読者の判断に任せるべきです。
以上色々厳しいことを書きましたが、この翻訳で新しい読者が増えるであろうプラスの効果については否定しません。今後改訂の機会があれば、是非とも上記のようなことを考慮していただきたいと思います。