前の会社の上司で香港に10年くらい駐在された方から「東方之珠」という曲を教わりました。天安門事件の頃に作られ、その頃既に中国への返還が迫っていて、そういう思いを込めて作られたようです。歌詞の内容は繁体字の字幕見ていれば大体分ります。
説明は以下。中国語WikipediaのChatGPT4訳。
——アルバム『皇后大道東』の紹介文案
1984年末、中国と英国は《中英聯合声明》を締結しました。多くの香港人は1997年の返還後の香港の将来について不安を感じ、長年にわたる移民の波が始まりました。《東方之珠》はこの背景のもとで作られました。罗大佑は東西の音楽の特質を混ぜ合わせ、香港の中華と洋風が共存する特徴を表現しようと考え、中国の五音階で主旋律を作り、副旋律には西洋音楽理論の和音分解を用いました。
歌詞には広東語版と北京語版があり、創作の順番については2つの説があります。1つは1986年夏に鄭国江がレコード会社の依頼を受け、既存の北京語詞を広東語版に改編し、7月にリリースされたアルバム『啓示』に収録されたというものです。もう1つは罗大佑が1986年に香港に移住して2か月後、1987年初頭に北京語詞が誕生したというものです。
1988年、罗大佑はアジアテレビの6周年記念で、再度作詞した北京語版を歌いました。1991年、このバージョン(歌詞は同じもの)が罗大佑のアルバム『皇后大道東』に収録され、アルバムの最後の曲として収められました。