マックス・ヴェーバー「理解社会学のカテゴリー」(海老原明夫・中野敏男訳)

マックス・ヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」を学生時代以来、再読。海老原明夫・中野敏男訳の日本語訳です。訳者のお二人は、折原浩先生の「経済と社会」の精読の演習の中心的メンバーで、1984年から先生がこの演習を始めた時に、まずこの「理解社会学のカテゴリー」から精読を開始しました。従って私もその時にドイツ語の原文を解読する作業に参加していますが、しかしその内容をほとんど忘れてしまっています。今回折原浩先生の「経済と社会」再構成の作業を追いかけていく上で、この論考の内容をもう一度押さえておく必要性を感じて読み直したものです。従来この論考の日本語訳としては、林道義氏のものがありました。しかし、その日本語訳には明らかな誤訳も含まれており、今回読んだ海老原・中野訳には訳者注も解題も含まれていて、日本語訳のレベルとしてははるかに上です。しかし、とはいってもこの論考の内容は非常に理解するのが大変です。この論考では、「ゲマインシャフト行為」、「ゲゼルシャフト関係」と「ゲゼルシャフト行為」、そして「諒解(行為)、諒解(ゲマインシャフト関係)」といったカテゴリーが定義され、更にアンシュタルトと団体、という二つの社会学的な人間のグループが区別されて定義されます。「ゲマインシャフト、ゲゼルシャフト」というのは、ヴェーバーの前にテンニースの有名な論文があって、そこではゲマインシャフトが「共同社会」として、ある意味素朴な人間関係に基づく前近代的なものとして定義され、それに対してゲゼルシャフトが「利益社会」としてある意味冷たい利害関係に基づく人間関係として対立概念として定義されていました。注意しなければならないのは、ヴェーバーのゲマインシャフト、ゲゼルシャフトという言葉の使い方が、テンニースのような対立概念ではない、ということです。ヴェーバーの用語法では、まずゲマインシャフト(行為)があり、その特殊な形態としてゲゼルシャフト(行為)が定義されており、ゲマインシャフトはゲゼルシャフトを包摂する上位概念です。
こうしたヴェーバーの用語法は、非常にわかりにくく、この論考が書かれた後にヴェーバーはミュンヘン大学で学生にこのカテゴリーを講義しますが、結局テンニースの概念と混同されてほとんど理解されず、この結果ヴェーバーがカテゴリー論を見直し、後に「社会学の根本概念」という論考につながります。そこでは社会的行為、社会的関係という一般的な用語にある意味では後退し、「諒解」に関してはまったく出てこなくなります。
しかし、「経済と社会」の旧稿にはまだ「理解社会学のカテゴリー」のものが使われており、それを理解するためにはこの「理解社会学のカテゴリー」を踏まえる必要があります。
なお、ヴェーバーの有名な「現世の呪術からの解放」と言う言葉はこの「理解社会学のカテゴリー」で初めて登場します。

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