片山杜秀の「未完のファシズム」

jpeg000 101片山杜秀の「未完のファシズム」を読了。第二次世界大戦(大東亜戦争)での日本軍の神がかった精神主義、玉砕主義がどこから来たかを明らかにしようとする労作。従来、戦前の日本軍については、日露戦争の栄光→大東亜戦争の悲惨、という流れで語られるのがほとんどだったのを、その2つの戦いの間に起こった第1次世界大戦の重要性を提起しています。第1次世界大戦で「総力戦」の思想が生まれ、それがある意味傍観者の立場で第1次世界大戦を研究していた「持たざる国」の日本陸軍の各人にどのような影響を及ぼしたかを考察しています。
(1)小畑敏四郎
「持たざる国」として、戦いにおいては奇襲・側面攻撃を重視した「殲滅戦」を主張。一方で「持てる国」との戦いは回避するという思想。しかしながら小畑を含む皇道派は二・二六事件で粛正され国の方針に対する影響力を失う一方で、この「殲滅戦」の思想だけが1928年に改訂された「統帥綱領」に反映され、これが大東亜戦争時にまで改訂されず持ち越され「持てる国」である米国相手の戦いに適用されてしまう。
(2)石原莞爾
「持たざる国」を「持てる国」に変えて、それから最終戦争を行って勝てばよいという思想。しかし、石原が想定した最終戦争の始まりは早くても数十年後だったが、実際には1941年に対米戦争に突入。また石原が首謀した満州事変は、軍部だけの独走を既成事実化し、日本全体での意思統一をできなくした。
(3)中柴末純
「持たざる国」が「持てる国」に対抗するには、精神力で足らない部分を補うしかないと主張。戦陣訓を執筆し、玉砕を相手に恐怖心を与え戦争を早めに終結させるものと美化した張本人。
(4)酒井縞次
「持たざる国」が戦争に勝つには、航空部隊や戦車部隊を使って、速戦即決で勝つしかないと主張。海軍の山本五十六に近い考え方。実際に日中戦争で機械化部隊を率いて参戦するが、機械化部隊は歩兵の支援でしかないと考える当時の陸軍の元で分散運用され十分な戦果をあげられず、結局予備役にされる。

題名の「未完のファシズム」は、持たざる国が戦争に勝ち抜くためにはいずれの方向に行くにせよ、国全体を一つにして強力に国策を進めていくことが必要だったが、明治期に作られた国家体制は全体に分権的でそういう一元的な仕組みが欠けていたと主張しています。

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