折原浩先生の「ヴェーバー『経済と社会』の再構成 トルソの頭」を読了。1996年に出版されたもの。1984年の冬学期から始まった東大駒場の教養学科と相関社会科学の大学院の合同演習で延々10年間をかけて、「理解社会学のカテゴリー」と「経済と社会」の旧稿部分の精読を進めた結果として発表されたものです。(私はその開始から2年半その演習に参加しています。)
「マックス・ウェーバー基礎研究序説」の時に紹介したように、「経済と社会」の従来二部とされてきた旧稿部分は、従来のように「社会学の基礎概念」をそのカテゴリー論として読むべきではなく、(直接的には「ロゴス」誌に発表され「経済と社会」とは一見無縁に見える)「理解社会学のカテゴリー」をカテゴリー論として、つまり「頭」として読むべきだという仮説を提示し、なおかつ最初の編纂者であるマリアンネ・ヴェーバーとメルヒオール・パリュイが恣意的に並べた順番を本来のあるべき順番に戻す、という作業を、「前後参照句」(「以前論じたように」とか「後で詳しく論じる」のように、テキストの他の箇所への参照を示す句)を手がかりに、その参照が「内容的に」どこにつながるのか、ということを精読を通じて地道に解明したものです。この「前後参照句」は実は最初の編纂の際に、その時の順番に合わせるために、編纂者によって書き換えられている可能性もあり、その手が加えられた箇所も同時に抜き出していかないといけません。その結果、全体で409の前後参照句の内、「旧稿の中のどこにも該当部分が無い」(が「理解社会学のカテゴリー」にその該当部分がある)、「前後の参照方向が間違っている」ものが41発見されました。その一つ一つを逐一詳細に論理的に検証し、(1)確かに「頭」として「理解社会学のカテゴリー」が必須であること(2)どうテキストを並べ替えれば順番の辻褄が合うか、という作業を徹底して行ったものです。
この作業の結果、旧稿に欠けていた「頭」が蘇り、また間違った配列も正される、「経済と社会」の再編纂問題における、画期的な進歩を達成したのが、この本に収められている論文になります。この本に入っている論文は独訳され、「ヴェーバー全集」を編集しているチームにも送られました。その中心メンバーであるシュルフター教授も、折原説には一度は賛成し、問題は解決したかと思われましたが、問題はさらにもつれます。これについてはまた次の機会に紹介します。