白井喬二の「盤嶽の一生」の完全版(?)を入手し読了。新潮文庫版は、全体の半分くらいまでしか収録していなく、かつ章の途中で切っているというひどいものであることがわかりました。ただ、この完全版(?)でも話は完結していません。
盤嶽の真実を求める旅は続いて、後半部では、大人に絶望した盤嶽が今度は青年達に希望を託しますが、それもすぐ裏切られてしまいます。それで今度は子供に期待しますが、それもまた駄目でした。最後は赤ん坊に望みを託しますが、それも期待通りに行きません。
色々あって、盤嶽は、二人の子供と一人の老人と、またかつては自分を毛嫌いしていた叔父の娘と暮らし始めることになります。その後無実の罪で牢屋に入れられますが、無事脱牢する所で終わっています。
この話を読んで、盤嶽の生き方を見て、聖書の「義に渇く者は幸いである。」を思い出しました。聖書では彼らは満たされるとイエス・キリストは言っていますが、盤嶽の場合は決して満たされることがありません。この小説を白井喬二は完結させようにも、盤嶽にふさわしい結末をとうとう考えつくことができなかったのではないかと思います。
盤嶽の映画を最初に作ったのは名匠山中貞雄です。2度目のTVドラマの最初の2回はその映画を封切り時に観た市川崑によって作られています。盤嶽のキャラクターは名匠達の心を捉えていたようです。→白井喬二の「盤嶽の一生」、の最初の投稿へ
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白井喬二の自伝、「さらば富士に立つ影」によれば、「盤嶽の一生」については、まだ先を書く構想があったということです。また、今回読んだ以外にも、盤嶽を主人公とする短編がいくつもあったとのことです。
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