直木三十五の「南国太平記」(下)を読了。島津斉彬とその世継ぎを呪う牧仲太郎と、その師匠である加治木玄白斎は呪術で激しく戦いますが、年老いた玄白斎はついに仲太郎の呪いの前に命を落とします。妨げる者のいなくなった仲太郎の呪術は、最後に残った斉彬の世継ぎの哲太郎をも呪い殺してしまいます。それどころか、仲太郎の呪いは今度は斉彬本人を襲います。しかしながら、斉彬は自分の世継ぎを全て呪い殺されてもお由羅一派を恨んだりせず、斉彬を慕ってお由羅一派を除こうとする軽輩の武士達(西郷や大久保も入っていました)に対し、「藩のため国のためもっと大きなことをせよ」と説き、彼らに深い感銘を与え、後の明治政府でこれらの軽輩の武士達が活躍するきっかけを作ります。そして斉彬は藩主になってわずか7年で49歳の生涯を終えます。この「南国太平記」では呪殺となっていますが、現在ではお由羅一派による毒殺ではないかとされているそうです。
Wikipediaの「直木三十五」の所にはまったく書かれていないのですが、この「南国太平記」は昭和5年から6年にかけて書かれたもので、いわゆる「エログロナンセンス」の時代です。その影響はこの作品にも見られ、特に「グロ」が強く出た作品です。それは、(1)呪殺という陰惨な手法をその方法も含め詳しく描写したこと(2)斉彬派で蜂起が発覚して切腹を余儀なくされた高崎五郎右衛門の切腹のシーンを克明に描写したこと(3)切腹して墓に入れられた斉彬派の武士を島津斉興は、墓を暴いて獄門にさらすように命じますが、その暴かれた死体の様子を生々しく描写したこと、などの点で明らかです。
全体にそういう「グロ」趣味のせいもあるのかもしれませんが、大衆小説にしてはさわやかさに欠ける作品です。ただ島津斉彬という人物の英明さ、偉大さは十分に描写されていると思います。