白井喬二の「富士に立つ影」の読み直し、明治篇を読了し、これにて2回目の読書が完了しました。この篇ではずっと佐藤光之助が中心になって話が進みます。しかし光之助は新しい明治という時代に合わせてうまく立ち回ることが出来ず、困窮した生活を送っています。その妻八重はそうした光之助を支えるというより、自分の見栄に走って光之助をさらに困らせます。そこに光之助が高名な学者の杉浦星巌の高弟であったというのがややご都合主義的に明らかにされ、光之助は星巌の娘の美佐緒の伝手でようやく開成学校の教師の職を得ます。しかしそれもすぐ駄目になってしまいます。しかし光之助は美佐緒から、亡き錦将晩霞の楽譜を見せられ、そこで熊木公太郎が佐藤兵之助が調連隊長になった時、錦将晩霞にお祝いの曲を弾くように頼んだという事実を知ります。困窮の光之助の前に登場するのが兵之助のもう一人の忘れ形見である黒船兵吾で、光之助を新門辰五郎に引き合わせ、全国の忠臣を調査するという仕事を得させます。その仕事で旅する内に、世間で忠臣と言われている人が多く強引なことをやって人の命を犠牲にしていたり、と必ずしもきれい事だけでないことを知ります。そんな中ふとしたことで公太郎の足跡を追うことになり、いまや老人になった森義にも巡り会います。光之助はいつしか公太郎こそ本当に立派な人物であったと思うようになります。東京に戻った光之助は熊木城太郎に会い、もはや仇としては付け狙わないことを申し入れますが、その後偶然に今度は自分がかつて浪人組の時に殺した相手の子供である兄弟の敵討ちとして襲撃されます。幕末篇の感想でも書きましたが、死せる公太郎が生きている人の心を動かし、それを変えていきさえする、というのはやはりイエス・キリストを私には思い起こさせました。最後にある「ただこの世はおおらかなる心を持つ者のみが勝利者ではあるまいか。」これこそこの長大な物語の主題といってもいいと思います。
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