小泉志津男の「日本バレーボール五輪秘話③ 松平全日本の奇跡」を読了。最初ちょっとタイトルに引っ掛かりました。というのはミュンヘンオリンピックの時の男子バレーの金メダルは、ある意味予定されていたという感じで捉えていたからです。でもこの本を読むと、準決勝のブルガリア戦での大苦戦と「奇跡の」逆転、それからやや苦手だったソ連を東ドイツが破り、決勝は日本が予選で楽勝している東ドイツだったり、とある意味運も味方していて、「楽勝」的なイメージは、TVでやっていた「ミュンヘンへの道」というアニメドキュメンタリーで刷り込まれたイメージかもしれません。それからこの本でもう一つ知りたかったのは、あれほど輝いていたミュンヘンでの男子バーレが何故あっという間に凋落したのかということです。男子バーレはオリンピックの2年後の世界選手権では、ポーランドとソ連に敗れ3位となり、その2年後のモントリオールオリンピックでは、4位となり、東京オリンピック以来のメダル取得の歴史もストップします。そしてその後はさらに凋落し、オリンピックにすら出場出来ない場合も多い、という惨状になっています。
この本によると、金メダル取得後、森田、大古、横田といったスター選手が少年漫画誌に手形付きで載ったり、また選手の結婚式がTV中継されたりし、そういった行動が「アマチュアリズムに反する」という批判が巻き起こったようです。その当時日本のアマチュア規定は世界一厳しいものでしたが、ですが男女とも日本バレーが強かったのは要するに企業が自分のチームに投資を続けて強化してきた結果であり、最初からアマチュアリズムとは矛盾するものでした。
また、そのアマチュアリズム批判と同時に、金メダルへの原動力となったバレー協会の前田会長と松平康隆監督のコンビに対する、やっかみをこめた反対派が現れ、と内紛続きだったようです。それに更に輪をかけて、森田が本人の希望で全日本からは引退し、また大古は日本鋼管から、新しく作られたサントリーに移りますが、そうした行動の結果、全日本から外される、というおかしなことになります。
そういったゴタゴタで、日本の男子バレーの実力はミュンヘンの時に比べ上がるどころか低下しており、それに対して東欧諸国が日本式のコンビネーションバレーも積極的に取り入れ、それがポーランドの躍進につながるということになります。
そうこうしている内に、東京オリンピックの後はメキシコとミュンヘンの両方でソ連に敗れて銀メダルに終わった女子チームが、今度は山田重雄監督の率いる日立武蔵中心の全日本チームで、1974年の世界選手権で東京オリンピック以来の金を取り、更にモントリオールオリンピック、ワールドカップの両方ともで金を取り、「新・東洋の魔女」と称されます。男子バレーはそうした女子の大活躍に完全に置いて行かれてしまいます。