Eigoxの授業で、アーウィン・アレンの1960年代のTVドラマをYouTubeで探して観ている、という話をしたら、その先生がNetflixで「宇宙家族ロビンソン(ロスト・イン・スペース)」の新シリーズをやっていることを教えてくれました。「宇宙家族ロビンソン」はちょっと不思議なことに、東日本で育った人は観ていた人が少なく(多分放映される機会が少なかったのだと思います)、西日本で育った私ぐらいの世代の人では逆にまず知らない人はいない、というドラマです。(何度も再放送されていました。)
新しいNetflixでの「ロスト・イン・スペース」は、元のドラマの登場人物だけを借りて、ほとんど別のストーリーにしてそれがかなりの部分成功していると思います。「ロスト・イン・スペース」は映画にもなっていますが、それは元のストーリーを再現しようとして却って失敗していましたので、今回のNetflix版のストーリー構成はいいと思います。元のドラマでのロビンソン一家は、ある意味1960年代のアメリカの理想的な家族でした。しかし今回のドラマは色々と問題をはらんだ家族構成になっています。一番違和感があるのはジュディ(長女)がアフリカン・アメリカンだということで、妹(ペニー)と弟(ウィル)とは父親が違うという身も蓋もない設定です。差別する気はないですが、”black sheep in the family”そのものだと思いました。まあそれは置いておいて、色々と問題のある家族が、様々な苦難に遭遇して次第に一致団結していくという、ある意味西遊記の一行の天竺への旅みたいな、王道のドラマ構成になっています。
ただ、10話観てずっと違和感があったのが、ドクター・スミスです。元のドラマでは、ドクター・スミスは元々ロビンソン一家の地球以外の惑星への移住を妨害しようとしたスパイで、完全な悪役でした。しかし、理想的な家族のロビンソン一家と対照的な悪役は次第にドラマの進行上無くてはならない役柄になり、途中から完全にロビンソン一家を喰った主役となります。そういう中で、「ずるくて自己中心的だけどどこか憎めないキャラ」となっていきました。しかし、今回のドクター・スミスは、まず女性だというのが驚きなのですが、それ以上に性格が完全に変で、自分の目的(犯罪者としての過去を消して、移住先のアルファ・ケンタウリで人生をやり直す)ためには、平然と殺人も行います。この新しいドクター・スミスのダークさに、最後までなじめませんでした。
もっとも、今公開されている最初の10話は導入編に過ぎず、「ロスト・イン・スペース」というタイトルとは裏腹に、ロビンソン一家は孤独ではなく、他の家族も一緒に遭難しています。それが最後の第10話でオリジナルのドラマのメンバーだけで孤立します。従って本篇はこれから始まる、という感じです。